オーフォード伯爵
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オーフォード伯爵(: Earl of Orford)は、イギリス伯爵位。過去3度創設されており、最初にラッセル家に対して創設された時はイングランド貴族、次にウォルポール家(英語版)に対して創設された時はグレートブリテン貴族、3度目に再びウォルポール家に対して創設された時は連合王国貴族であった。爵位名はサフォークのオーフォード(英語版)にちなむ。
歴史
ラッセル家名誉革命期に海軍軍人として栄達し、第1期の初代オーフォード伯爵となったエドワード・ラッセル海軍元帥(トマス・ギブソン(英語版)画)

1697年に「サフォーク州におけるオーフォード伯爵 (Earl of Orford, in the County of Suffolk)」に叙されたエドワード・ラッセルは、第4代ベッドフォード伯爵フランシス・ラッセル(英語版)の四男エドワード・ラッセルの息子である。海軍軍人の彼は名誉革命に先立ってオランダ総督オラニエ公ウィレム3世への招聘状に署名した1人であり、革命後に海軍元帥に昇ったほかジャントーの一員として3度に渡り海軍大臣を務めた。伯爵叙位の際同時にイングランド貴族の爵位「ケンブリッジ州におけるシンゲイ男爵 (Baron of Shingay, in the County of Cambridge)」および「バーフラー子爵 (Viscount Barfleur)」も授けられたが、息子がいなかったためこれらの爵位は彼の死とともに断絶した。
ウォルポール家20年にわたって第一大蔵卿を務め、退任後に第2期の初代オーフォード伯爵となったサー・ロバート・ウォルポールジャン=バティスト・ヴァン・ロー画)

第二期の初代オーフォード伯爵となったサー・ロバート・ウォルポールホイッグ党の政治家であり、第一大蔵卿として20年以上の長期政権を築いた。彼は庶民院議員として庶民院の信任を背景に政権を維持し国王に代わって閣議を主宰していたことから、最初のイギリスの首相と看做されている。そして1742年の第一大蔵卿(首相)辞任に際してグレートブリテン貴族ノーフォーク州におけるホートン男爵 (Baron of Houghton, in the County of Norfolk)」と「ウォルポール子爵 (Viscount Walpole)」および「サフォーク州におけるオーフォード伯爵 (Earl of Orford, in the County of Suffolk)」に叙された[1]

初代伯が1745年に死去すると、その長男の初代ウォルポール男爵ロバート・ウォルポールが2代伯となった。彼は父親が首相在任中に叙爵を内示されたものの庶民院の議席を失うことを嫌って拝辞した結果、代わって「ノーフォーク州におけるウォルポールのウォルポール男爵」を与えられていた。

3代伯となったジョージは、2代伯と第15代クリントン女男爵マーガレット・ロール(英語版)の間に生まれた一人息子であった。彼は父親からオーフォード伯爵位やウォルポール男爵位を、母親からクリントン男爵位を相続した。

3代伯が子供のないまま1791年に死去すると、オーフォード伯爵位とウォルポール男爵位は初代伯の三男であるホレスが継承した[注釈 1]。彼は文筆家・ディレッタントとして名高く、自邸ストロベリー・ヒル・ハウスゴシック・リヴァイヴァル建築に改築したり、ゴシック小説のはしりとされる『オトラント城奇譚(英語版)』を著し、イギリスにゴシック趣味を流行させたことで知られる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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