オービックシーガルズ
OBIC Seagulls
創設:1983年(41年前)
加盟:1988年シーズン
リーグ
Xリーグ・X1 Super
チーム名
オービックシーガルズ(2003-現在)
シーガルズ(2002)
リクルートシーガルズ(1983-2002)
ホームタウン
千葉県習志野市(オービック習志野グラウンド)
チーム情報
チームカラー.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} ネイビー
ゴールド
アクアグリーン
ホワイト
マスコットしーがるくん
メインスポンサーオービック
GM並河研
ヘッドコーチ大橋誠
公式サイト ⇒www.seagulls.jp
獲得タイトル
JXB優勝(9回)
1996・1998・2002・2005・2010・2011・2012・2013・2020
地区優勝(9回)
2000・2001・2002・2005・2010・2011・2012・2013・2016
パールボウル優勝(9回)
1997・2000・2005・2012・2014・2017・2018・2019・2023
ライスボウル優勝(8回)
1997・1999・2006・2011・2012・2013・2014・2020
オービックシーガルズ(英: OBIC SEAGULLS)は、日本の千葉県習志野市に本拠地を置くアメリカンフットボールの社会人クラブチーム。Xリーグ1部のX1 Superに所属する。
メインスポンサーはシステムインテグレータ企業のオービック。練習場はオービック習志野グラウンド。運営者はレナウン習志野オフィス内に置かれた株式会社OFC(オービック・フットボール・クラブ)。獲得した主要全国タイトルは、全国社会人チーム最多の計17回(ライスボウル優勝8回、Xリーグ制覇9回 ともに史上最多)である。 1983年にリクルートの企業内同好会「リクルートシーガルズ」として創部(ニックネームはリクルートのシンボルマークのモチーフであるカモメから)[1]。 1984年の秋にパレスサイドリーグへ加盟。初年度は0勝に終わったが、1985年・1986年は2年連続で準優勝となり、1987年で初優勝を果たした[2]。 1988年1月に取締役会でアメリカンフットボール部の創部が決定し、日本社会人アメリカンフットボール協会に加盟した[2]。 1989年、千葉県千葉市美浜区に専用のグラウンドが完成。秋季リーグでは優勝できなかったものの、1部リーグのチーム数増に伴う1部昇格決定戦でハスキーズに勝利し、東日本社会人1部に昇格した[2]。 1992年は東日本社会人1部Aブロックで2位の成績を残した。 1995年は東日本1部リーグで優勝し、東京スーパーボウルに出場するも、松下電工インパルス(現パナソニック インパルス)に敗れる。 1996年はオンワードオークスを破り、念願の東京スーパーボウルを制覇。ライスボウルでも京都大学を破り初の日本一を達成。 1999年に運営形態をクラブチームに変更し、リクルート社員以外の選手も受け入れるようになる。 2002年6月末をもってリクルートがスポンサーから撤退し、名称をシーガルズに変更する。スポンサー不在ながらも秋季リーグで優勝し、東京スーパーボウルも制覇。しかし、ライスボウルでは立命館大学に敗れ、日本一を逃す。 2003年からは新たにオービックがメインスポンサーになり、チーム名をオービックシーガルズに改める。レナウンローバーズの解散に伴い本拠地「習志野グラウンド」を引き継ぐ[3]。 2005年は法政大を49-17で破り、3回目のライスボウルを制覇を果たす。特にライスボウルではランニングバックの古谷拓也 2009年5月のパールボウル準決勝富士通フロンティアーズ戦では第3クォーターまでビハインドだったが、最終クォーターに一挙14点を獲得し逆転勝利を収めた。しかし6月の鹿島ディアーズとの決勝では逆転負けを喫した。9月のリーグ開幕戦(千葉マリンスタジアム)は日本ユニシスBULLSを52-7で破る。 2010年はライスボウルで立命館大を24-0に完封し、4回目のライスボウル制覇を果たす。 2011年はライスボウルで関西学院大を第4クォーターに逆転し優勝。チーム初の2年連続日本一となる。 2012年はライスボウルで再び関西学院大を相手に迎え優勝。
歴史
チーム創設から2002年まで
チーム名変更