オーバー=ラムシュタット
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紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:ヘッセン州
行政管区:ダルムシュタット行政管区
郡:ダルムシュタット=ディーブルク郡
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯49度49分54秒 東経08度44分22秒 / 北緯49.83167度 東経8.73944度 / 49.83167; 8.73944座標: 北緯49度49分54秒 東経08度44分22秒 / 北緯49.83167度 東経8.73944度 / 49.83167; 8.73944
標高:海抜 199 m
面積:41.88 km2
人口:

15,011人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:358 人/km2
郵便番号:64372
市外局番:06154, 06167
ナンバープレート:DA, DI
自治体コード:

06 4 32 016
行政庁舎の住所:Darmstadter Strase 29
64372 Ober-Ramstadt
ウェブサイト: ⇒www.ober-ramstadt.de
首長:ヴェルナー・シュフマン (Werner Schuchmann)
郡内の位置

地図

オーバー=ラムシュタット (ドイツ語: Ober-Ramstadt, ドイツ語発音: [o?b??ram?tat][2]) はドイツ連邦共和国ヘッセン州ダルムシュタット=ディーブルク郡に属す市。
地理
位置

オーバー=ラムシュタットはダルムシュタットから約10kmの距離にあり、オーデンヴァルト内の連邦道B426号線沿いに位置する。オーバー=ラムシュタットを貫いて流れるモーダウ川沿いには、広さ約3ha遊水池であるオーバーラムシュタット洪水時水位調整池が設けられている。
隣接する市町村

オーバー=ラムシュタットは、北はロスドルフ、東はラインハイム、南東はグロース=ビーベラウ、南はモーダウタール、西はミュールタール、北西は郡独立市のダルムシュタットと境を接する。
市の構成

この市は、1977年以降、中核市区オーバー=ラムシュタットの他、モーダウ区、ヴェムバッハ=ハーン区、ロールバッハ区からなる。モーダウ区はさらにオーバー=モーダウ地区とニーダー=モーダウ地区から構成される。ロールバッハ区は他の2つの市区よりも早く1972年に自由意志で合併していた。
面積とその利用

市域の総面積は約4,200ha。中核市区が2,251ha、モーダウ区が934ha、ロールバッハ区が489ha、ヴェムバッハ・ハーン区が512haである。それぞれ約40%が農業または林業用地で、市街地はそれぞれ7%ほどである[3]
歴史オーバー=ラムシュタット市内中心部を流れるモーダウ川

新石器時代にはすでにオーバー=ラムシュタットの地域に定住者がいた痕跡が遺されている。オーバー=ラムシュタットが初めて文献上に記録されたのは1310年のことである。これは、カッツェンエルンボーゲン伯エーバーハルトがラムシュタット市における(フランクフルト市に与えられたのと同様の)あらゆる自由特権やその他の権利を有するとした書類である。ここでいう権利には、町の防衛施設整備や週の市の開催などが含まれている。中世には隣接する森林は、ドライアイヒ狩場に含まれており、オーバー=ラムシュタットには30フーフェ(共有地から割り当てられる土地で、1フーフェは10-20ha)が割り当てられていた。三十年戦争の時代には、ペストが住民の大部分の命を奪い去った。

19世紀には、オーバー=ラムシュタットで農業から工業への転換が進み始めた。1895年にエドゥアルト・ムーアヤーンはオーバー=ラムシュタットに、Deutsche Amphibolin-Werkeを開設した。現在でもこの会社はこの街に本社を置き、ヨーロッパで最も近代的なエマルジョン塗装のための製品を創りだしている。20世紀の初頭にこの街は発展のピークを迎えた。1901年に上水道、1907年に電力供給が設備された。この同じ都市には、フランクフルトの出版社が地方新聞の発刊を始めている。

2005年に市長のヴェルナー・シュフマンは『色彩の街』をモットーに掲げ、市民に対して家を改修・改築する際はカラフルな色を塗って、街周辺の美しい外観を手に入れようと呼びかけた。こうした目的のために、街の開発計画が図られ、一部が適用されている。2006年から2008年までに、オーバー=ラムシュタットのメインストリートは改造され、完全に近代化されて新しい姿になった。

この街の歴史は、博物館で追体験できる。この博物館は、1732年ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルクの父親が建造したもので、かつては市役所として用いられた建物である。
市区の歴史
モーダウ

「Mutdaha」という記述は、804年ロルシュ土地台帳に初めて記録されている。これは現在のニーダー=ムーダウのことを示していると推測される。その後、表記はModa、Muda、Maudava、Modachと変遷した。これらから沼地や水といった概念が読み取れる。オーバー=ムーダウが初めて記録されているのは1362年である。この頃、この村はカッツェンエルンボーゲン伯のツェーント(十分の一税徴税区に基づく当時の地方行政区分)に属していた。

ニーダー=ムーダウ近郊の城山には1382年まで城が建っていた。最後の城主ヴェルナー・カルプ・フォン・ラインハイムは、ディーター3世フォン・カッツェンエルンボーゲンの縁戚にあたる人物であった。カルプは一時期タンネンベルク城の管理を行っていたこともあるが、史書には盗賊騎士として登場する。ニーダー=ムーダウ城は、1382年にフランクフルトマインツヴォルムスの軍勢によって破壊され、再建されることはなかった。その城址は石切場として利用された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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