オーバーシーズ・ハイウェイ
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「フロリダ州内の国道1号線(英語版)」も参照

オーバーシーズ・ハイウェイ
セブンマイル・ブリッジを渡るオーバーシーズ・ハイウェイ
基本情報
アメリカ合衆国
所在地フロリダキーズ
交差物件メキシコ湾フロリダ海峡
路線名US 1(英語版)
管理者フロリダ州運輸局(英語版) (FDOT)
設計者フロリダ・イーストコースト鉄道(英語版); オーバーシーズ・ハイウェイ・アンド・トール・ブリッジ・コミッション[1]
施工者ヘンリー・フラグラー(英語版)
開通1938年3月29日
構造諸元
全長182 km[2][3]
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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オーバーシーズ・ハイウェイとオーバーシーズ鉄道の諸橋
アメリカ合衆国国家歴史登録財

クレイグ・キーとロング・キー間のチャンネル 5の新橋(左)と旧橋(右)
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所在地フロリダキーズ, フロリダ州
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯24度47分01秒 西経80度54分12秒 / 北緯24.78361度 西経80.90333度 / 24.78361; -80.90333
建設1905年
建築家フロリダ・イーストコースト鉄道(英語版); オーバーシーズ・ハイウェイ・アンド・トール・ブリッジ・コミッション
NRHP登録番号79000684[4]
NRHP指定日1979年8月13日

オーバーシーズ・ハイウェイ(Overseas Highway、海上高速道路の意味)[5]フロリダキーズを縦断する181.9キロメートル[2][3] の幹線道路であり、国道1号線 (US 1)の最南端区間となっている。その大半は元のオーバーシーズ鉄道即ち「フロリダ・イーストコースト鉄道(英語版)キーウェスト延長線」の鉄道用地(英語版)[6] であった。1912年に完成したオーバーシーズ鉄道は1935年のレイバーデイ・ハリケーン(英語版)で大きな被害を受け、一部が破壊された。フロリダ・イーストコースト鉄道は破壊された部分の再建を財務的理由で断念し、路盤 (roadbed) および破壊を免れた複数の橋はフロリダ州に64万ドルで売却された。

1950年代以降、オーバーシーズハイウェイはマイアミキーウェストを結ぶ主要海岸幹線道路へと改装され、旅行者にとっては熱帯サバンナ環境を通り抜けて、アメリカ本土では最大規模のフロリダ・サンゴ礁(英語版)へアクセスできるエキゾチックな道路となっている。クロコダイルやキー鹿(英語版) (Key Deer) のような多くの熱帯性の動物がフロリダキーズの熱帯諸島には生息している[7]
歴史
州道時代

今日ではオーバーシーズ・ハイウェイは元のオーバーシーズ鉄道の用地に沿って通っているが、一部は鉄道とは別個に古くから建設されていた。この部分はキューバとの貿易を迅速に行うための道路で現在も使われている。オーバーシーズ・ハイウェイ構想はマイアミ・モータークラブ (Miami Motor Club) で1921年に初めて提唱された。1920年代のフロリダの土地ブーム(英語版)が下火になり、クラブは魚釣りができる地域へ車で容易にアクセスできるようにして観光客を引きつけたいと考えた。その時代ボートか鉄道しか交通手段がなかったのである。土地ブームはまた不動産へ関心を持つ人々を引き寄せた。彼らは未開発の広大な土地があるアッパー・キーズ (upper keys) [8]へ車でアクセスできることを望んだ。更に鉄道の完成はフロリダキーズを縦断するハイウェイが実現可能であることを実証した[9]

フロリダ州道4A号線となる初代のオーバーシーズ・ハイウェイ(マイアミからホームステッドへ至るルートの延長)の建設は1920年代半ばを通して続けられた。1928年1月25日、公式に開通した旧オーバーシーズ・ハイウェイは大きな隙間(great extent)で2つの区間(セグメント)に分かれていた。一方の区間は本土からカード・サウンド橋(英語版)を経由してキーラーゴ島、更にその先のロウワー・マテカム・キー(英語版)へと通じており、もう一方のロウワー・キー側の区間はノーネーム・キー(英語版)からキーウェストまでだった。自動車フェリーの運行はロウワー・マテカム・キーとノーネーム・キーの66キロメートルの隙間を結んでいた。州道4A号線はアッパー・キーズでは大部分が元のオーバーシーズ鉄道の跡を通っていたのであるが、ロウワー・キーズ(lower keys)では状況は異なり、現在のオーバーシーズ・ハイウェイのルートを通っていた。ノーネーム・キーに接岸したフェリーは(接岸場所は現在のワトソン・ブールヴァード[10]の端部にあたる)リトル・トーチ・キー(英語版)へと渡っていた。リトル・トーチ・キーでは4A号線は南へと曲がり再び鉄道と合流していた。更に鉄道の北側沿いにアッパー・シュガーローフ・キー(英語版)へ続き、そこで南へ曲がって、ロウワー・シュガーローフ・キー(英語版)とサドルバンチ・キー(英語版)を超えて、現在の郡道939と939Aのルートを通っていた。サドルバンチ・キーから州道4A号線は現在のガイガーロード(Geiger Road)とボカチカ・ロード(Boca Chica Road)のあるガイガー・キー(英語版)へと渡っていた。ボカチカ・キー(英語版)ではキーウェスト海軍航空基地(英語版)の滑走路南の海岸線からボカチカ・ビーチを通ってストック・アイランド(英語版)へと渡っていた。ストック・アイランドではマロニー・アベニュー(Maloney Avenue)とマクドナルド・アベニュー(MacDonald Avenue)へと続き、そこでキーウェストへ向かうオーバーシーズ鉄道と再合流していた。ロウワー・キーの州道4A号線に架けられていた橋の多くは木造で1920年代初頭まで使われていた。オーバーシーズ・ハイウェイの旧区間を支えていた8基の橋脚。マイル・マーカー73で見ることができる。これらは1935年のレイバーデイ・ハリケーンで亡くなった帰還兵達の記念碑としての役目を果たしている

1930年代初頭までにフェリーではフロリダキーズへの旅行需要に応えられないことが明らかとなり、モンロー郡 (フロリダ州)およびフロリダ州運輸局(英語版)は一続きの幹線道路にするため州道4A号線の2つの部分を接続する計画の策定を開始した。1931年まではフェリー会社もヴァカ・キー(英語版)[11]のホグ(Hog)からマラソン(英語版)市を通り抜けてグラッシー・キーズ(Grassy Keys)[12]へ至る全長21キロメートルの道路も提供していた。1933年、フロリダ州議会は道路を延長する予算を連邦政府から引出すためにオーバーシーズ・ロード・アンド・トール・ブリッジ・ディストリクト(Overseas Road and Toll Bridge District; 以後「ORTBD」と略す)[13]を設立した。大恐慌の最中の事で、国として出せる予算は少なかったが、結局、連邦緊急救済局(フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策で創設された)が予算を出すことになった。戦時賞与の支払いが早期に行われないことに不満を持った、数百人の第一次世界大戦からの帰還兵達(veterans)[14] が政府の救済計画の一環として道路および橋の建設のため雇用された。[9]

1935年9月2日にイスラモラダ(英語版)をカテゴリ5のレイバーデイ・ハリケーン(英語版)が襲った時、ロウワー・マテカム・キーとロング・キー(英語版)を結ぶ橋の建設は既に始まっていた。このハリケーンは地域に広範な被害を与え、アッパー・キーズにあるオーバーシーズ鉄道の多くを破壊した。ハリケーンによる400人を超える死傷者の内、半数以上が帰還兵達とその家族であった。彼らの死は世論の怒りを招き、議会調査に主導された責任追及へと発展した。現在のマイル・マーカー73にあるロウアー・マテカム・キーのすぐ西側に残る8基のコンクリート製橋脚と浚渫された(dredged)小さな島は全て帰還兵達の仕事である。


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