オーバーコッヘン
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紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:バーデン=ヴュルテンベルク州
行政管区:シュトゥットガルト行政管区
郡:オストアルプ郡
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯48度47分02秒 東経10度06分19秒 / 北緯48.78389度 東経10.10528度 / 48.78389; 10.10528座標: 北緯48度47分02秒 東経10度06分19秒 / 北緯48.78389度 東経10.10528度 / 48.78389; 10.10528
標高:海抜 496 m
面積:23.55 km2
人口:

7,884人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:335 人/km2
郵便番号:73447
市外局番:07364
ナンバープレート:AA, GD
自治体コード:

08 1 36 050
行政庁舎の住所:Eugen-Bolz-Platz 1 
73447 Oberkochen
ウェブサイト:www.oberkochen.de
首長:ペーター・トラウプ (Peter Traub)
郡内の位置

地図

オーバーコッヘン (ドイツ語: Oberkochen, ドイツ語発音: [o?b??k?xn?][2]) は、ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州シュトゥットガルト行政管区オストアルプ郡に属す市である。
地理オーバーコッヘンの町並み
位置

オーバーコッヘンは、西と北をアルブーフ、東をヘルツフェルトに挟まれたシュヴァルツァー・コッハー川の谷とその高台に位置しており、市内でランゲルトバッハ川がシュヴェルツァー・コッハー川に注ぐ。市域内の最高地点はフォルクマールスベルクの山頂、海抜 743 m である。市のわずかに南、海抜 499.2 m のカルスト水源からコッハー川が湧出している。

本市は、事実上分離した2つの集落からなる。シュピッツタール、レンツハルデ、ブルンネンハルデを含む内市街と、約 100 m 離れた北東のハイデ市区である。
隣接する市町村

本市は、北と東はアーレンオストアルプ郡)、南はケーニヒスブロン(ドイツ語版、英語版)(ハイデンハイム郡(ドイツ語版、英語版))、西はエッシンゲン(オストアルプ郡)と境を接している。
土地利用

土地利用種別面積農業用地森林住宅地産業用地交通用地水域その他
面積 (km2)3.5316.361.160.521.060.040.88
占有率15.0 %69.5 %4.9 %2.2 %4.5 %0.2 %3.7 %

州統計局の2019年現在のデータによる[3]
歴史

現在確認されている最も古い文献記録は、1335年1月17日付のエルヴァンゲンの土地台帳の2つの記述である[4]

オーバーコッヘンは、ヴュルテンベルクで初めはオーバーアムト・アーレンに属し、後にアーレン郡に属した。1973年の郡の再編によって新しいオストアルプ郡に編入された。

オーバーコッヘンは、1968年に市に昇格した。
住民
人口推移

オーバーコッヘンは、歴史的背景によるものでなく、本来必要な人口1万人を超えたわけでもないにもかかわらず、1968年に市に昇格した。この集落の人口は第二次世界大戦終結後、3千人強から1961年には8千人近くにまで急速に増加した。これは占領国アメリカによってカール・ツァイス・コンツェルンイェーナから移転させられた事による。当時のボッシュ市長も所轄の役所も、人口はさらに増加し、必要なレベルの1万人を増加すると予測していたため、市への昇格が申請され、認可された。しかし、人口は1万人に達しなかった。市への昇格後人口はわずかながら減少し、再び8,000人弱となった。

第二次世界大戦後の新しく転入した住民の多くはイェーナから企業とともに移り住んだ人々であった。また、カール・ツァイスは世界最大の光学コンツェルンへ急速に拡大したため、労働者の激しい流入をもたらした。

年人口(人)
18801,202
19251,512
19392,002
19503,681
19617,979
19708,648
19808,118
19908,446
19958,592
20008,271
20058,206
20107,816
20157,761

宗教

オーバーコッヘンは、14世紀から領主上は分割されていた: 大部分がエルヴァンゲン修道院(ドイツ語版、英語版)、小さな部分をケーニヒスブロン修道院(ドイツ語版、英語版)が領していた。こうした事情を背景に、宗教改革の時代に、ケーニヒスブロン地区は1536年から1553年ヴュルテンベルクとともに福音主義に改宗しヴュルテンベルク福音主義州教会に属したが、エルヴァンゲン地区はカトリックに留まった。こうした村の分離は権利上の問題や紛争をたびたび引き起こした。この状況は、1749年にエルヴァンゲンとヴュルテンベルクとの間で締結されたいわゆるアーレン議定書 (Aalener Protokoll) で解消された[5]

現在のローマ=カトリック聖ペーター=ウント=パウル教会は1900年10月25日に聖別された。これは、小さくて壊れかけていた先代のバロック教会に替わって建設されたものである[6]

最初の福音主義教会は1583年に完成した。1875年に同じ場所に新しい教会堂が建設された。この教会礼拝堂だった建物は現在は市立図書館になっている。第2次世界大戦後、旧ドイツ東部領土からのドイツ人追放によって、大勢の福音主義信徒避難民がこの地に移住することになった。そのため、従来の教会施設が手狭になり、オーバーコッヘン福音主義教会共同体は新たな礼拝施設として贖罪教会を、ビュルガーマイスター=ボッシュ通りに1968年に建設した[7]。オーバーコッヘン福音主義教会共同体はヴュルテンベルク福音主義州教会ア‐レン教会地区に属し、所属する教会員数は2015年12月の段階で約2千2百人である[8]



行政
議会

オーバーコッヘンの市議会は、18議席からなる[9]
紋章

図柄: 青地に3輪のバラが2:1に配置されている。

この紋章は1968年に認可された。紋章デザインは1404年のゲーリヒ・フォン・コッヘンによっている。彼はオーバーコッヘンの多く地所を所有していた。歴史的な配色は不明であったため、色は自由に選ばれた。
姉妹都市

ディーヴ=シュル=メール(フランス語版、英語版)(フランスカルヴァドス県)1984年

モンテベッルーナイタリアヴェネト州)1992年

マーテーサルカ(ハンガリー語版、英語版)(ハンガリーサボルチ・サトマール・ベレグ県)2008年

経済と社会資本
交通

オーバーコッヘンは、長い区間にわたって交差点がないよう改良された連邦道 B19号線沿いに位置している。この道路は、オストアルプを通る自然の交通路であるコッハー川 - ブレンツ川(ドイツ語版、英語版)の谷を通って北のアーレンと南のハイデンハイム・アン・デア・ブレンツ(ドイツ語版、英語版)とを結んでいる。最寄りのアウトバーンのインターチェンジは、A7号線(ドイツ語版、英語版)(フレンスブルク - フュッセン)のエプナート(アーレン市内)近郊にあるアーレン=オーバーコッヘン・インターチェンジで、連邦道 B19号線北へ、次いで州道 L1084号線で東へ向かい、約 11 km の距離にある。ブレンツ鉄道(アーレン - ウルム)も上述の谷を通っている。

オーバーコッヘンは、交通信号機のない唯一のドイツ都市[10]としてギネスブックに掲載されている。


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