オート_(文具)
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オート株式会社
OHTO CO.,LTD.

種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
110-0014
東京都台東区上野2-3-11
百千和(ユチワ)ビル3F 
設立1919年4月
業種製造業(文房具)
法人番号6010501002208
事業内容.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

文具類の製造販売

筆記具の部品販売

筆記製造設備等の輸出

代表者代表取締役社長 樫村 朝昭
資本金4500万
関係する人物

中田藤三郎(創業者)

外部リンクOHTO
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ガチャックニードルポイント 0.7mm

オート株式会社(おーと・: OHTO)は、(旧)中田機化工業[1]・オートボールペン工業に端を発する、日本文房具メーカーである。そのブランドは、以前はAUTOと綴ったが、現在ではOHTOと綴る。
概要

本メーカーは、1946年に鉛筆型ボールペンの「オートペンシル」を、1951年に他社に先駆けて実用的なボールペンを販売し[2]たことで知られている。1943年に発明されたボールペンはどのメーカーの製品 (万年筆ベースの「ボールペン万年筆」) にも材質やインクの欠陥などの問題を抱えていたものばかりであったが、本メーカーはそれらの問題を初めて克服し、世界で初めて水性ボールペンを発売した。

また、事務用品の開発も積極的で、ガチャック[3]やメモクリップを開発したメーカーとしても有名である。

京セラの技術を採用したセラミックボール[4]を用いた水性ボールペンや、ペン先が細長い円錐形をした「ニードルポイント」(NEEDLE-POINT)[5]という油性ボールペンなど独自の商品を開発・販売している。なお、この単語は、ペン先の形状が針の先端の様に鋭いイメージからNEEDLE (針) とPOINT (先端) の2つの言葉で命名された、オートに因る造語である[5]

他社が水性ボールペンのラインナップを大幅に減らす中、オートは現在も同型の新製品を積極的に展開しており、2017年はノック式の「オー」を発売している。近年は、アイデア商品の開発も多い。2006年には、「アメリカンテイスト」と題してカラフルなマーブル模様のボールペンのシリーズを発売し、これらが人気商品となった[6]。さらに、自動繰り出し型の「オートシャープペンシルシリーズ」や温かみの感じられる「木軸シャープペンシル」などが近年の代表作であると云える。なお、自動繰り出しシャープペンでは2018年発売「ノノック」が学生の間で人気となった。「木軸シャープペンシル」は2016年グットデザイン賞を受賞した[7]

現在では、筆記具の製造販売に加えて、世界各社へのoemのほか、ギフト、ノベルティー商品の企画販売にも力を入れており、筆記製造設備のプラント輸出も行われている。なお、部門分割した ⇒中田機械化工業は現存する。
沿革

出典:[8][9][10]

1919年(大正08年)4月 - 中田藤三郎によって中田鳳華堂として設立される。漢方薬の粉砕、高品質染料及びインクの製造を開始。

1945年(昭和20年)9月 - 中田粉砕化工株式会社に改組。同時に姉妹会社・中田製粉機株式会社設立。中田式粉砕機の製造販売開始。

1949年(昭和24年) - 鉛筆型木軸ボールペンを開発'、販売。「鉛筆型」のボールペンを世界で初めて成立させた。以降、国内ボールペンブームの火付け役となる。また世界初、クロムボールを採用した。

1952年(昭和27年) - 長期間の使用に耐えられる実用的なボールペンを開発、発売。

1955年(昭和30年)4月 - 両社合併。中田機化工業株式会社に改名。

1958年(昭和33年) - 部門分割。足立区花畑に粉砕部門・ボールペン部門は中野区小滝町

1958年~60年(昭和33年~35年) - 0,6oのボールペン初めて開発。

1960年(昭和35年) - 朱肉の上に書けるインク(証券用インク)を初めて開発。以降、宮内庁、銀行、会社の事務用の筆記具として社会的に認知されるようになる。

1962年(昭和37年) - 「鉛筆型」でのノック式ボールペンを世界で初めて開発、発売。

1963年(昭和38年) - 超硬ボールの開発、世界で初めて実用化。

1963年(昭和38年) - ボールペン部門東京証券取引所市場上場

1964年(昭和39年) - インク残量が分かる中芯に初めて改良。

1964年(昭和39年) - 世界で初めて水性ボールペン(ローラーボール)を開発。オートペンW発売

1965年(昭和40年) - オートボールペン部門をのちに毎日商事に売却。

1968年(昭和43年) - ペンのローレット加工を世界で初めて開発、販売。

1974年(昭和49年) - 表記を「AUTO」から「OHTO」に変更。 創業家が経営から外れ、AUTOをアウトと間違えるため。

1978年(昭和53年) - グリッパー(世界初のラバーグリップ付き鉛筆型ボールペン)を開発、発売。

1980年(昭和55年) - ガチャック開発。(登録商標)

1981年(昭和56年) - ボール材に初めてセラミックを使用。水性インクにセラミックボールを初めて使用。セラミックローラーペン(モデルCB-10F)は、1990年の産業化諸国経済サミット(G7)で正式に使用された。

1986年(昭和61年)5月 ‐ 同年の三洋興産の倒産の影響で連鎖倒産する。(なお、会社自体は存続している。)

1991年(平成03年) - フリーインクローラー開発、販売。

1999年(平成11年) - 切削型ニードルチップ開発。低粘度油性(ソフトインク)開発。

2006年(平成18年) - ゲルインクにセラミックボールを初めて使用。

2013年(平成25年) - ノンドライ水性リフィル開発。(特許No5371571)

2017年(平成29年) - フラッシュドライゲル開発。

2020年(令和2年) - 本社移転、企業理念完成

2022年(令和4年) - ベトナムで販売開始

特徴
油性ボールペン

戦後、進駐してきたアメリカ軍の兵士たちが持ち込んだ油性ボールペンにより日本でボールペンブームがおこった[11]。しかし、万年筆のような太い形が主流で、手が小柄な日本人にとっては持ちにくかった。更に国内外問わず、どのメーカーも高価な割にインクの漏れやインクの油のにじみなど品質や書き味もあまり良くなかった[12]。そこで創立者の中田藤三郎は1949年に、世界初「鉛筆型木軸ボールペン」を開発。世界で初めて「クロームボール」をペン先に採用し、インク漏れが少なく書き心地が良いボールペンを作ることに成功した。素材は戦後に比較的手に入りやすく安価な木製を採用し、当時価格1本30円(現在で約230円)と廉価で実用的な、日本初の量産型ボールペンでもあった[13]。以降、商品名の『オートペンシル(AUTO PENCIL)』の名が代名詞になるほど人気となり、国内でのボールペンブームが再熱した[14]。なお1952年には、保存性・耐久性を高め長時間の使用にも耐えられるボールペンを開発し発売した[9]

1958年には、世界で初めて「ペン先の0.6oボール」を開発した[9]。従来の外国製ボールペンは、アルファベットを書くためペン先のボールと筆跡が太かった。


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