オート三輪
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出典検索?: "オート三輪" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2022年12月)
ダイハツ・ミゼットDSA。1950年代後半に隆盛を極めた軽オート三輪。2012年5月撮影マツダ・T2000。1960年代、大型化・近代化されたオート三輪の最終発展形。2005年2月撮影

オート三輪(オートさんりん)は、三輪自動車貨物自動車である三輪トラックを指す。日本で用いられる呼称。

軽便・安価で、積載力があり悪路に強く、小回りが利くという特性から、日本では1930年代から1950年代に隆盛を極めたが、その後、より価格性能比に勝る四輪トラックの登場により取って代わられ衰退した。

「オート三輪」の呼称は、自走式、つまりエンジン付き三輪車の意味で、日本で三輪車の多数派であったトラック、ないしは、その派生形の貨物車を指す語として定着している。客室を架装してタクシーにも使用された例があり、極まれに乗用登録のものも見られるが、極めて例外的なものである。ゆえに、当初から乗用車として設計された3輪式乗用車(例 ダイハツBeeや、富士自動車(現・コマツユーティリティ)・フジキャビンイギリスのリライアント、ボンドなど)は、トラックシャシをベースとしているわけではないため、通常「オート三輪」とは呼ばれない。

この記事では、日本において小型自動車扱いであった三輪トラックの「オート三輪」と、そのブームの少し後にブームとなった、軽自動車扱いの軽三輪トラックについて主に述べる。
三輪自動車詳細は「三輪自動車」を参照

日本ではオート三輪が第一次世界大戦後に独自発生し、当時の国情に合致し、独特の発展を遂げた。この日本の「オート三輪」はオートバイの延長線上に案出されたことによる自然発生的な簡易車両だった。
戦前マツダオート三輪。戦前以来の古典的オート三輪の形態。2005年2月撮影ダイハツHD型三輪自動車(1931年式)

1916年大阪で前2輪・後1輪で前方に荷台を持つ自転車式貨物車(フロントカー)に、アメリカ製の167ccエンジンキット「スミスホイールモーター」を装備した中島商会製「ヤマータ号」が出現したのが、日本におけるエンジン付き3輪貨物自動車の最初と見られている。

しかし安定性や積載力を欠くため、ほどなく前1輪・後2輪のレイアウトに移行した[注釈 1][注釈 2]

1925年には自動車の車両規格が制定され、小型車の規格としては、幅員3尺(0.9m)、全長8尺(2.4m)、高さ3尺6寸(1.1m)、エンジン出力3.5馬力、変速機前進2段、最高速度16マイル/h、積載量60貫(225kg)などの条件が定められた。風防・屋根を持たない小型のオート三輪に適合する程度の大きさで、この規格で当局の審査を通過したオート三輪は無免許で運転可能となった。

前1輪・後2輪の後方荷台タイプで一定の完成度を伴った製品として市販されたのは、1925年頃に大阪のウエルビー商会(のち山合製作所)が製作した英国JAP製350cc搭載・200kg積の「ウエルビー号」が嚆矢とされる。

以降オート三輪の製造メーカーは商工業・自転車産業の盛んであった大阪地区を中心に、1925年の2社から、1926年8社、1927年16社、1928年35社と急増したが、初期はほとんどが中小零細メーカーで、生産体制の実態は町工場レベルのアッセンブリー生産であった。運転席の設計などは初期のものは自転車と自動二輪の応用・流用部分が多く、ハンドルは二輪車と同様の棒型のもの(バーハンドル)であった。エンジンは当初アメリカやイギリススイス製のオートバイ用輸入単気筒・2気筒エンジンが用いられ、シャシもオートバイとリヤカーの折衷的なパイプフレームで、強度上不利なローラーチェーン(使用中に延びや断裂を起こしやすかった)で後右片輪のみを駆動することで差動装置を省略していた。初期には後退ギアもなかった。

しかし、実用上の要請から改良が進み、差動装置・後退ギアの装備やシャフトドライブの採用、パイプフレームを止めて本格的なトラックとしての強度を持つプレスフレームチャンネルフレームへの移行、大排気量化や2気筒化など、1930年代中期までには既にオートバイとは全く異なる機構を持った貨物車両に進化していった。

エンジンも、1928年のJACエンジン(日本自動車、のちの日本内燃機製)出現以来、発動機製造(のちのダイハツ工業)などがイギリス製エンジンの流れを汲んだ空冷サイドバルブ単気筒・2気筒の実用に足るエンジンを国内生産するようになり、同時期に輸入エンジンへの関税が大きく上昇した事とも相まって、市場においては国産エンジンに大方が取って代わられた。まもなく有力エンジンメーカーはオート三輪生産に乗り出し、下位零細メーカーの淘汰が始まって、大手メーカー主導の体制が確立された。中小事業者からの需要の高まりを背景に販売網も整備され、1930年代後半には発動機製造「ダイハツ」、東洋工業「マツダ」、日本内燃機「ニューエラ」→「くろがね」の三大ブランドへの評価が定まっていた。この3社はシャーシ、エンジンとも規模の大きな工場で自社一貫生産でき、日本国内の広域にディーラー網を広げていたため、業界で突出した存在であった。

戦前、小排気量三輪車の運転免許は試験制ではなく許可制であったことで、その普及を促された一面がある。その当初は警視庁式の馬力基準で3.5馬力相当と見なされた上限350ccであったが、ことにオート三輪の積載能力に見合った動力性能を求めるメーカー、ユーザー[注釈 3] の働きかけにより、1930年の改正で無免許小型車の上限は500cc(4ストロークのみ。2ストロークは350cc)に、全幅1.2m、全長2.8m、全高1.8mに拡大された。その後更に4輪車業界も働きかけを強め、1933年には750cc・4人乗りまでの無免許運転が認められた(これにより、従来運転者単座だったオート三輪に助手席を設けられるようになった)。

その規制緩和の効果は大きく、オート三輪市場では650 - 670cc級単気筒、750ccV型2気筒の自然空冷サイドバルブエンジンが相次いで投入され、市場での競争を促すことになった。経済性とメンテナンスの容易さ等で総合的に有利であった空冷サイドバルブ単気筒が1940年代後期までオート三輪エンジンの主流だったが、一部には水冷エンジン車も出現している。さらには前輪側面まで延長したフレームからジョイント付きシャフトを介して前輪を駆動する「前1輪駆動」のオート三輪が、中京地区の中小メーカー計3社から送り出されるなど、ユニークな発展も見られた。ただしこの期間、ドライバーが風雨にさらされるオープンタイプのサドル運転台、始動に熟練を要するキックスターターといったオートバイ並みのメカニズムを脱することはなく、風防・ドアの装備や、電動式セルフスターターの装備といった近代化は進まなかった。

大排気量の大型トラックのような、政府による軍用車としての用途を重視した積極的保護育成策がさほど為されず、むしろ無免許制度や許容排気量の増大といった規制緩和以外、監督官庁からの積極的関与は乏しい放任状態のままに「メーカーユーザーの側からのボトムアップによる進化発展」が進んでいたことが、戦前日本のオート三輪の発達過程における特記すべき点と言える。


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