オートモ号
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オートモ号[注 1]
オートモ号(復元車)
概要
製造国 日本
販売期間1924年 - 1928年;
空冷式(943cc): 1924年 - 1927年
空冷式(1,331cc): 1927年
水冷式(1,487cc): 1927年 - 1928年
デザイン豊川順彌(設計)
ボディ
乗車定員3人または4人(フェートン)[注 2]、4人(セダン)、2人(ロードスター)
ボディタイプフェートンセダン、など
エンジン位置前
駆動方式後輪駆動
パワートレイン
エンジン1924年型・空冷式: 943cc
1927年型・空冷式: 1,331cc
1927年型・水冷式: 1,487cc
共通仕様:
直4OHV4ストロークマグネット式点火装置
最高出力空冷式(943cc): 9馬力
空冷式(1,331cc): 20馬力
水冷式(1,487cc): 27馬力
変速機3速MT(後段1)
前前: リジット、1/2リーフ縦置
後: リジット、リーフ縦置
後前: リジット、1/2リーフ縦置
後: リジット、リーフ縦置
車両寸法
ホイールベース空冷式: 2,032 mm
水冷式: 2,057 mm
全長3,030 mm
全幅空冷式: 1,212 mm
水冷式: 1,303 mm
全高ボディにより異なる
車両重量空冷式: 450 kg
水冷式: 600 kg
その他
トレッド空冷式: 1,016 mm
水冷式: 1,092 mm
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オートモ号(おーともごう、Otomo)は、白楊社1924年大正13年)から1928年昭和3年)にかけて製造・販売した自動車である。「日本国外に輸出された日本車」の第1号とされる[3][4][5][Web 1]

累計で250台以上が生産された(詳細は#生産台数を参照)。この生産台数は日本において国産量産車として先行した三菱・A型の10倍以上であり、そのためか、しばしば「日本初の(本格的な)量産乗用車[6][7][Web 2]」と形容されることがある。また、三菱・A型は既存のフィアット[注 3]を模したものであるため、「日本の純国産技術で完成した初の量産乗用車[6][Web 3][Web 4]」と形容されることもある。
概要
時代背景

オートモ号が製作された大正時代の日本では、自動車は欧米から輸入するのが一般的であり、完成車はおろか、部品単位でも日本国内で製造することはほとんどなかった[8]。自動車製造をする者も一部にはいたが、そうした者たちも輸入した部品を用いて欧米車を模倣して製作するのが当たり前であった[9]

そうした時代に、豊川順彌という技術者が、私財をつぎこみ、自分で設計・製造した部品を使い、日本人によって、日本で製造した自動車がオートモ号である[8]

日本の国情に合わせて、小型の乗用車として製作され、エンジンはOHV空冷式を採用し、当時の日本では最も低燃費な車でもあった[1]
試作車アレス号

豊川順彌によって1912年明治45年/大正元年)に東京・巣鴨で創業された白楊社は、当初は豊川の趣味的な組織であり、豊川が没頭していたジャイロコンパスの研究や、工業用の模型等の製造を主な事業とした[10][11]。1915年(大正4年)から1917年(大正6年)にかけての米国滞在を経て[注 4]、自動車製造に興味を持った豊川は帰国後に内燃機関と自動車の研究・製作を開始する[Web 1]。これに伴い、旋盤などの工作機械の製造が必要になり、白楊社はそれらの製造・販売を本格的に始める[16][注 5]

1920年(大正9年)9月に試作車の製作を始め[17][注 6]、翌1921年(大正10年)末に試作車「アレス」号を完成させた[20][Web 1][Web 7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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