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この項目では、自動車における自動変速機について説明しています。鉄道における自動変速機については「気動車・ディーゼル機関車の動力伝達方式」をご覧ください。
トヨタ・AA80E
オートマチックトランスミッション(英: automatic transmission、略称: AT)あるいは自動変速機(じどうへんそくき)は、自動車やオートバイといった内燃機関を動力源とするモータービークルにおける変速機(トランスミッション)の一種で、車速やエンジンの回転速度に応じて変速比を自動的に切り替える機能を備えたトランスミッションの総称である。日本では「オートマチックトランスミッション」という呼び方が長く煩雑であることから、文章表記ではA/T、ATと略記されることが多い。口語ではオートマチックないしはオートマが通用している[1]。古くはノークラ(ノークラッチペダル)[1]、ノンクラ[2]、トルコン[1]などと呼ばれた。
狭義には変速機自体を指すが、発達の経緯が変速操作の自動化のみならず、マニュアルトランスミッション車(以下、MT)からクラッチペダルを取り去ることでもあったため、必然的にクラッチの自動化を伴っている。そのため、広義にATを称する場合は、各種の自動クラッチ機構を含めることが多い。また、トランスミッション、車軸、差動装置(ディファレンシャル)が1つの統合された組立部品(ASSY)に含まれる、つまり技術的にはトランスアクスルとなっていることが多い[3]。
最も一般的な種類のオートマチックトランスミッションは俗にステップAT[4]と呼ばれる油圧制御式有段自動変速機であり、遊星歯車機構、油圧制御装置、トルクコンバータを使用する。その他の種類には無段変速機(CVT)、オートメイテッドマニュアルトランスミッション(AMT)、デュアルクラッチトランスミッション(DCT)がある。トルクコンバータを使用した遊星歯車式オートマチックトランスミッションは俗に「トルコン」[1]または「トルコンAT」[5]と呼ばれる。
オートマチックトランスミッションのうち、変速比の選択はもっぱら運転者が行い、それ以外のクラッチ操作などを自動化したものをセミオートマチックトランスミッション(セミAT)と呼ぶ[6]。これと区別するために、変速比の選択をふくめて全て自動化したものをフルオートマチックトランスミッション(フルAT)と呼ぶ場合がある[7]。両者の差は自動制御可能な範囲の違いであり、クラッチ機構や変速機構の違いではない。
日本の運転免許制度上ではセミAT・フルATを問わず、クラッチを操作するペダルやレバーがなければオートマチック限定免許での運転が可能である[8]。 自動クラッチと自動変速機構を組み合わせて自動車の変速操作を完全自動化する発想として最も古い例は、1904年にスターティヴァント社が開発した「horseless carriage gearbox(馬なし馬車ギアボックス)」である[9][10]。これは単板クラッチ2組を遠心力を利用して制御することで自動変速されるように考えられていたが、量産化はされなかった[11]。 1908年に発売されたフォード・モデルTは、大量生産技術の駆使で1927年までの19年間に1,500万台が生産される世界的なベストセラーになり、自動車の歴史に大きな足跡を残したが、特徴として遊星歯車と多板クラッチによる前進2段、後進1速の半自動変速機を標準装備していた。この構造は1910年代までの手動変速機車に比較して格段に操作が簡易であった。ただし、自動車が高速化・強力化するに伴い、固定変速比の2速変速機では特に高速域での巡航における実用性が得られなくなり、市場の趨勢は3?4速の手動変速機にとって代わられた。 クラッチを自動化した4段程度の遊星歯車式半自動変速機は1920年代末期から出現したが(例:プリセレクタ・トランスミッション)、採用した事例はイギリス、フランスなどの一部メーカーの製品に留まっており、またその作動は完全自動化にまでは到達していなかった。
歴史
全自動変速機の実用化(英語版
以降、GMに続いてアメリカの主要な自動車メーカーは1940年代から1950年代にかけてATの開発を促進した。ハドソンやカイザーなど、自力でATの開発が行えなかったビッグスリー以外の中堅メーカーには、GMから社外販売されるようになったハイドラマチックのユニットを購入して装着することでAT化への追随を余儀なくされた事例も見られた。第二次世界大戦終結後のアメリカではガソリン価格が下がり、乗用車の排気量拡大・ハイオクタン仕様化によるパワー増大競争と並行してATが急速に普及、1945年に5 %未満だった乗用車のAT普及率が1965年には90 %超となった[11]。