オートポイエーシス
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オートポイエーシス (autopoiesis) は、1970年代初頭、チリの生物学者ウンベルト・マトゥラーナフランシスコ・バレーラにより、「生命の有機構成 (organization) とは何か」という本質的問いを見定めるものとして提唱された理論生物学上の理論である[1]

オートポイエーシスの理論的な起点となっているのは、マトゥラーナによって行われた神経生理学の研究である[2]。実験として行われたのは、ハトの色知覚についての実験である。まず、ハトの網膜に小さな電極をさし込む。ハトの眼前にさまざまな色紙を置くと、電極付近のニューロンに電気的刺激が生じる。マトゥラーナはを受容するリセプターの後方にある神経鞘細胞に注目した。ところが神経鞘細胞の活動は光の物理的特性にも、各スペクトルのもつエネルギーにも対応しておらず、あえて対応するものを探すとすれば、人間が色を区別するさいに用いている色の名前だけだった。外的な物理的刺激の特徴と、神経システムの活動とを対応させようとすると全くうまくいかなかった。つまり、神経システムにおいては外的な物理的刺激とシステムの活動には何の対応関係もない、という事実が判明した[2]

重要な点は、神経システムは外的な物理的刺激に対応していないにもかかわらず、生物的な環境に適応しているということである。外的な物理的刺激に対応していないのならば、環境に対してデタラメな作動を行いそうなものである。にもかかわらずに、環境に適応しているようにみえるのは何故なのか?マトゥラーナはその謎に答えようとして、まず神経システムのモデルを構想した。そして、神経システムの構想を生命システム一般の理論として拡大させていったものが、オートポイエーシスシステムである[3][4]
概説

古代より生命を説明するために様々な概念が提唱されてきた。その中には「魂」「精神」「有機化力」「気」などといった非物質的な概念による説明がある。しかし、そのような説明は経験科学上、受け入れられるものではない。また、生物学者であるマトゥラーナとヴァレラも受け入れられるものではないとして退けている[5]。非物質的な概念による説明に対して、物理的なもの・働きだけから生命を説明しようとする立場を機械論と呼ぶ。経験科学者(=科学的生物学者)であるマトゥラーナとヴァレラも物質的なものだけから生命を捉えようとした。そのため、オートポイエーシスは一つの機械論として提唱された。

定義はつぎのようなものである。

オートポイエティック・マシンとは、構成素が構成素を産出するという産出(変形および破壊)過程のネットワークとして、有機的に構成(単位体として規定)された機械である。このとき構成素は、次のような特徴をもつ。

(@)変換と相互作用をつうじて、自己を産出するプロセス(関係)のネットワークを、絶えず再生産し実現する、

(A)ネットワーク(機械)を空間に具体的な単位体として構成し、またその空間内において構成素は、ネットワークが実現する位相的 [topological] 領域を特定することによってみずからが存在する。

―引用元 :H・Rマトゥラーナ&F・Jヴァレラ『オートポイエーシスー生命システムとはなにか』1991、国文社、70-71頁[6]

具体的な内容の説明に関しては、後述の「マトゥラーナ&ヴァレラの定義」を参照。定義にある「オートポイエティック・マシン」という語で示されるように、オートポイエーシスシステムと呼ばれるシステムは、はじめ機械(マシン)として定義されていた。これは、マトゥラーナ&ヴァレラが機械論を標榜していたためである。『オートポイエーシス ― 生命システムとはなにか』において、マトゥラーナはオートポイエーシスが「機械論」であることを繰り返し主張している。

1984年には、ニクラス・ルーマンがオートポイエーシス理論を社会科学社会システム理論に導入した[7]。ニクラスルーマンによって導入されたオートポイエーシスは、マトゥラーナ・ヴァレラによって提起された定義から変化したもので、独自の理論形成を行っている。ルーマンの構想によれば、オートポイエーシスシステムは「自己言及するシステム」である。

日本では1991に翻訳された『オートポイエーシスー生命システムとは何か』を端緒としてオートポイエーシスが導入された。1995年には、河本英夫が『オートポイエーシス 第三世代システム』(河本英夫、1995、青土社)[8]において独自の展開を始めた。河本の構想によれば、オートポイエーシスは「行為存在論」である。行為存在論とは、オートポイエーシスが作動することによってのみ存在するシステムであることを意味する[9]

その後、『オートポイエーシスの拡張』(河本英夫、2000、青土社)および『オートポイエーシス2001 日々新たに目覚めるために』(河本英夫、2000、新曜社)において、オートポイエーシスの構成素の位置づけとシステム位相空間の形成についての拡張を行うことで、オートポイエーシスの構想を展開した。『オートポイエーシス2001 日々新たに目覚めるために』ではオートポイエーシスを「経験科学化された基礎存在論」として提起した[10]

また『メタモルフォーゼ オートポイエーシスの核心』(河本英夫、2002、青土社)では、オートポイエーシスの定義とは別の回路でオートポイエーシスの作動を示すために「二重作動(double operation)」という術語を導入した。のちに、河本英夫はオートポイエーシスシステムを展開する場として「身体」を対象とした著作を編んでいる。とくに「触覚」「身体内感」に注目した展開を行っている。[11][12]

オートポイエーシス・システム自体のモノグラフとして、山下和也による『オートポイエーシス論入門』(山下和也、2009、ミネルヴァ書房)や『オートポイエーシスの世界 — 新しい世界の見方』(山下和也、2004、近代文芸社)などがある。山下によって編まれた『オートポイエーシス論入門』(同上)は、マトゥラーナ&ヴァレラ、ニクラス・ルーマン、河本英夫によって提起された構想をまとめることで、初学者にもオートポイエーシスに接近することが出来るように書かれており、入門書としての定評がある。

学術界では現在もオートポイエーシスに関する統一された見解はなく、多様な解釈に基づいて議論が展開されている。 なお、オートポイエーシスという語はギリシャ語で自己製作 (ギリシャ語で auto, αυτ? は自己、poi?sis, πο?ησι? は製作・生産・創作) を意味する造語であり、この用語には定訳がない[7]日本語ではしばしば自己創出、自己産出、自己生産とも書かれる。
オートポイエーシスの条件

河本によれば、オートポイエーシスとは「システム自体の作動の機構を示し、そのことをつうじて自己をそれとして形成する」システムである[13]。そして、オートポイエーシスの条件を5つ挙げている。

(1)生成プロセスは、次の生成プロセスへと自動的に接続する。

(2)生成プロセスは要素を産出する。

(3)産出された要素が生成プロセスを再度作動させる。作りだされたものが作り出すプロセスそのものを作動させる。

(4)生成プロセスの継続が、作動をつうじておのずと閉域を定める。

(5)要素はそれらが存在することによって、みずからが存在する場所を固有化する。すなわち生成プロセスが特定の空間内に出現する。

ー引用元:『オートポイエーシスの拡張』(河本英夫著,青土社,2000,10-11)

オートポイエーシスの定式化は、これらの条件を満たす形で行われている。
オートポイエーシスの構想における三本の柱

河本英夫によれば、オートポイエーシスの構想の骨子には三本の柱がある[14]
第一の柱 建築の隠喩

第一の柱は建築の隠喩である。それは、つぎのような隠喩である。

まず私たちが二つの家をつくりたいと思っているとしよう。この目的のためにそれぞれ十三人の職人から成る二つのグループを雇い入れる。一方のグループでは、一人の職人をリーダーに指名し、彼に、壁、水道、電線配置、窓のレイアウトを示した設計図と、完成時からみて必要な注意が記された資料を手渡しておく。職人たちは設計図を頭に入れ、リーダーの指導に従って家をつくり、設計図と資料という第二次記述によって記された最終状態に次第に近づいていく。

もう一方のグーループではリーダーを指名せず、出発点に職人を配置し、それぞれの職人にごく身近な指令だけをふくんだ同じ本を手渡す。この指令には、家、管、窓のような単語は含まれておらず、つくられる予定の家の見取り図や設計図もふくまれてはいない。そこにふくまれるのは、職人がさまざまな位置や関係が変化するなかで、何をすべきかについての指示だけである。

―引用元:H・Rマトゥラーナ&F・Jヴァレラ『オートポイエーシスー生命システムとはなにか』1991,国文社,233-234頁[15]

前者のプログラムでは、目的や機能があらかじめ決められており、それにしたがってプログラムは作動する。対して、後者のプログラムでは、行為が継続するようにしてプログラムは作動する。前者のプログラムを具体的に考えるならば、旧時代のトップダウン式の軍隊が相当するだろう。また、後者のプログラムを具体的に考えるならば、アリや蜂が巣をつくる場合が相当するだろう。

後者のグループの職人相互の振る舞いを決めているのがオートポイエーシスのプログラムであるとされている。そして「これがマトゥラーナが抱いた原イメージである」[16]。つまり、この建築の隠喩を原イメージとしながら、オートポイエーシスは構想された。
第二の柱 定義的な機構

第二の柱はオートポイエーシスの定義的な機構である。マトゥラーナ・ヴァレラによるオートポイエーシスの定義は、次のようなものである。

オートポイエティック・マシンとは、構成素が構成素を産出するという産出(変形および破壊)過程のネットワークとして、有機的に構成(単位体として規定)された機械である。このとき構成素は、次のような特徴をもつ。

(i) 変換と相互作用をつうじて、自己を産出するプロセス(関係)のネットワークを、絶えず再生産し実現する、


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