オーストリア語
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オーストリアドイツ語

Osterreichisches Deutsch
話される国 
オーストリアフォアアールベルク州ランデック郡ロイテ郡西部(チロル州)を除く大部分の地域
イタリアボルツァーノ自治県=南チロル地方、ヴェネト州北東部、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州北部
スロベニア・中部のカルニオラ地方と南部のコチェーヴィエ地方
 チェコモラビア地方南部
スロバキア北部・東部
 ハンガリー西部の一部
話者数850万人
言語系統インド・ヨーロッパ語族

ゲルマン語派

西ゲルマン語群

高地ドイツ語

上部ドイツ語

バイエルン・オーストリア語

オーストリアドイツ語






言語コード
ISO 639-1-
ISO 639-2-
ISO 639-3?
消滅危険度評価
Vulnerable (Moseley 2010)
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オーストリアドイツ語(オーストリアドイツご、標準ドイツ語: Osterreichisches Deutsch, バイエルン・オーストリア語: Austriazismus)は、オーストリアで話されるドイツ語高地ドイツ語に属する上部ドイツ語)の言語変種である。

オーストリアドイツ語は、国内でもウィーンチロル州ケルンテン州など各地の方言差が大きくあるため、その総称でもあるオーストリア語と略称されることもある。
概要

オーストリアのほとんどの地域では、隣接するドイツバイエルン州の北部以外多くの地域とともに、バイエルン・オーストリア語が話されるが、このうちオーストリアでは、中央バイエルン・オーストリア語と、南バイエルン・オーストリア語が用いられる。

さらに、オーストリアの各地域の言語はそれぞれ共通して使用されるのもあるが、地域差により違いも見られる(ウィーン方言、チロル方言、ザルツブルク方言、シュタイアーマルク方言、ケルンテン方言、ブルゲンラント方言、ニーダーエスターライヒ方言、オーバーエスターライヒ方言など)。

かつて、多民族国家オーストリア=ハンガリー帝国の首都であったウィーンの方言およびニーダーエスターライヒ方言とブルゲンラント方言とシュタイアーマルク方言は、イタリア語チェコ語スロバキア語スロベニア語ハンガリー語など様々な言語から入った単語が残っていると言われている。

なお、スイスバーデン地方リヒテンシュタインに隣接するフォアアールベルク州では、スイスドイツ語とおなじアレマン語の系統に属する低地アレマン語(ドイツ語版)に属するボーデン湖付近のボーデン湖アレマン語(ドイツ語版)や、高地アレマン語(ドイツ語版)などの言語が話されている。

また、シュヴァーベン地方とバイエルン・シュヴァーベン地方に隣接するチロル州北西部のロイテ郡北部・西部はシュヴァーベン語ランデック郡最西部は最高地アレマン語(ドイツ語版)などが使用され、いずれもアレマン語の系統である。

また、オーストリアでも基本的に公文書テレビラジオでは標準ドイツ語が使用されるが、ドイツの標準語と比べて、やや発音や用語などが異なることが多い。
歴史

オーストリアドイツ語は、18世紀中頃に女帝マリア・テレジアとその息子ヨーゼフ2世が1774年に義務教育を導入し、多言語国家であったハプスブルク帝国にいくつかの行政改革を行ったことから始まった。当時、オーストリアのバイエルン方言やアレマン方言の影響を強く受けた"Oberdeutsche Schreibsprache"(上部ドイツ語書き言葉)が表記における標準語であった。他の選択肢として、言語学者ヨハン・ジークムント・ポポヴィッチ(英語版)が提唱した、南ドイツ方言に基づく新しい標準語を作るという案もあった。その代わりとして、彼らは実用的な理由から、すでに標準化されていたザクセン選帝侯領の首相官邸語(Sachsische Kanzleisprache または Meisner Kanzleideutsch)を採用することにした[1]。これは、マイセンドレスデンという非オーストリア地域の行政言語に基づいたものであった。

1774年の自身の死に際し、ポポヴィッチは広範囲の紙片の箱を残しており、そこから最初の「オーストリア語辞書」が生まれるはずだった[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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