オーストリアの国旗
用途及び属性?
縦横比2:3
制定日1945年5月1日
使用色
赤、白
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オーストリアの国旗は、1230年にオーストリア公であったバーベンベルク家のフリードリヒ2世(喧嘩公)が、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に対し反乱を企てたときに制定されたものである。デンマークの国旗やスコットランドの旗などとともに、現在まで使用されている世界最古の国旗の一つとされる。 第3回十字軍に参加したオーストリア公レオポルト5世が敵の返り血を浴びて全身赤く染まったが、ベルトのため腰の部分だけ白く残ったという故事が有名である[1]。 オーストリア帝国、続く二重君主国時代は黒・金2色のハプスブルク家の旗が国旗であり、赤・白・赤の現国旗は戦闘旗として使用されていた。また、二重君主国時代はハンガリーの国旗と赤・白・赤の旗を組み合わせたものが商船旗として使われた。1918年の第一次世界大戦敗戦に伴う君主国解体により、第一共和政の国旗として復活した。 その後、1938年にナチス・ドイツとの統合で廃止されたが、第二次世界大戦のドイツ降伏直前の1945年5月に復活した。現在の法的根拠は、1984年に制定された「国章・国旗法」。 政府旗は中央にオーストリアの国章が描かれており[1]、政府庁舎などで掲揚される。
歴史
? 政府旗 縦横比=2:3
歴史的な旗
?ハプスブルク君主国(オーストリア帝国とオーストリア=ハンガリー二重帝国を含む)の旗。ツィスライタニエンを代表する旗としても使用された
?オーストリア=ハンガリー二重帝国時代の商船旗
?オーストリア=ハンガリー二重帝国時代の軍艦旗
?1919年から1934年の政府用旗
?1934年から1938年の政府用旗
関連項目
オーストリアの国章
オーストリアの国歌
国旗の一覧
脚注.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、オーストリアの国旗に関連するカテゴリがあります。
出典^ a b 『世界の国旗