オーストラリア記念館
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オーストラリア記念館
存在したころの外観(2013年9月撮影)
情報
旧名称日本万国博覧会オーストラリア館
用途ホール博物館
旧用途展示館
設計者ジェームズ・マコーミック
施工清水建設
建築主オーストラリア
事業主体財団法人日本万国博オーストラリア記念館
管理運営四日市市文化まちづくり財団
延床面積1,300 m²
状態解体
竣工1970年(昭和45年)
開館開所1973年(昭和48年)4月
改築2006年(平成18年)4月1日
解体2014年(平成26年)
所在地510-0012
三重県四日市市大字羽津甲5169番地
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度59分6.8秒 東経136度38分55秒 / 北緯34.985222度 東経136.64861度 / 34.985222; 136.64861 (オーストラリア記念館)座標: 北緯34度59分6.8秒 東経136度38分55秒 / 北緯34.985222度 東経136.64861度 / 34.985222; 136.64861 (オーストラリア記念館)
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オーストラリア記念館(オーストラリアきねんかん)は、三重県四日市市にあった観光・イベント施設。1970年(昭和45年)に開かれた日本万国博覧会(大阪万博)のオーストラリア館が、シドニー港四日市港の姉妹港提携 (1968年) のシンボルとして移設されたものである[1]。オーストラリア関連資料、愛・地球博(愛知万博)で展示された巨大なカモノハシの模型が主要な展示物であった。円形ホールは多目的貸ホールとしても使われていた。恐竜の首にたとえられる、片持梁(スカイフック)がワイヤーネットによって、屋根をつるしている特徴的なデザインであり、設計はジェームズ・マコーミック(James McCormick)が行った。デザインは葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』をヒントにしたともされる[2][3]
施設の概要

「将来永久に日豪親善のモニュメントとして活用する」ために大阪万博会場から四日市へ移設されたものであった[4]。愛・地球博の目玉展示であったカモノハシを受け入れたり[5]、日豪交流年に合わせて開かれた「2006オーストラリアフェア」(2006年10月21日22日)の会場になったりと[6]日豪交流の場として利用されることもあったが、格闘探偵団バトラーツ大日本プロレスなどのプロレスリング興行会場として多く利用されていた[7]2000年(平成12年)2月にはミル・マスカラスが来館している[7]

三重県庁四日市市役所四日市港管理組合などが出資する、財団法人日本万国博オーストラリア記念館が運営し[8]、施設管理は四日市市文化まちづくり財団が行っていた[9]。休館日は月曜日祝日の翌日で、展示館の入館料は無料であった[5]が、2011年(平成23年)度の入館者数は6,626人と低迷していた[9]。唯一の収入源はホールの貸し出し料金であった[10]。その使用料金は、周辺の運動施設に比べて低く抑えられていた[7]

独立行政法人日本万国博覧会記念機構大阪府吹田市、2014年3月限りで解散)によると、大阪万博は76の国や地域が参加して開催され、外国パビリオンのうちで少なくとも23施設では全体やその一部移設されている。それらの中で、2012年当時現存していた建造物中オーストラリア記念館は最大規模のものであった[11]

万博のオーストラリア館は、「人類の進歩と調和に対するオーストラリアの貢献」をテーマとした展示施設であり[12]葛飾北斎版画神奈川沖浪裏[13])にインスピレーションを得て設計された建築物であった[14]
館内構造


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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