オーストラリア国立博物館
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オーストラリア国立美術館」とは異なります。

オーストラリア国立博物館
National Museum of Australia
正面に立つザ・ループ
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施設情報
愛称NMA
専門分野オーストラリアの歴史、自然、民俗
館長Mathew Trinca
職員256名[1]
管理運営オーストラリア政府
開館2001年
収集開始は1980年
所在地 オーストラリア キャンベラ首都特別地域アクトン市(英語版)、ローソン・クレセント
アクセスアクトン岬のバーリー・グリフィン湖畔に位置する。自家用車、市営バス、無料循環バス、タクシー、自転車などを利用。
外部リンク ⇒http://www.nma.gov.au
プロジェクト:GLAM
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オーストラリア国立博物館(オーストラリアこくりつはくぶつかん、National Museum of Australia)は、オーストラリアの首都キャンベラ北部にある国立博物館。この国の社会史の資料の保存と解釈に取り組み、重要な課題や人々、出来事について調査する[2]
歴史

1980年、オーストラリア政府はオーストラリア国立博物館法に基づき組織を設け、恒久的な建物を持たないまま収集事業を続ける[3]。2001年3月11日、専用の建屋が王立キャンベラ病院の跡地に正式に開館した[4]
建物博物館を上空から撮影(アクトン岬)

 館内正面玄関坪庭(題名の仮訳〔オーストラリアの夢の庭〕)

博物館の建物は建築プロジェクトの管理者で設計士ハワード・ラガット(Howard Raggatt)が手がけ、オーストラリア人がそれぞれ抱える人生譚を縄の結び目で象徴する。ラガットは語った。「オーストラリアの物語は1つではなく、多くが絡み合っていると捉えた。1本の定型化された物語ではなく、矛盾をはらんだいくつかの像が撚り合わされ(よりあわされ)、単に違いを解くと言うよりも、違いを心から受け入れることでもある[5]。」

基本テーマにしたがって結び目に見立てた本館を中心に置き、綱の端もしくは断片が伸展する。そのうち、大きく弧を描くように伸びて通路の屋根を形作る一端は、AIATSIS(英語)の横を通ると地面に接し、まるで巨大なリボンがほどけたようにゆったりとしたカールで終わる。形はちょうど国の内陸に位置する天然のランドマークそっくりであり、「ウルルの軸」という概念で都市計画家ウォルター・バーリー・グリフィン(英語)が博物館とキャンベラの都心を結び、オーストラリアの先住民の精神との結びつきを象徴する。

さらに以下の建物群と関連づけがされている[6]

バーリー・グリフィン設計の回廊、ニューマン大学(英語)(メルボルン

シドニー・オペラハウス – ヨーン・ウツソンが手がけた部分とその他の部分の両方。

フェリックス・キャンデラの貝のカーブ。

玄関ホールからはエーロ・サーリネンニューヨークのJFK国際空港を連想する

正面の彫刻アーチはリチャード・セラ

「オーストラリアの夢の庭」という坪庭は、さまざまな異なる地図製作法を表現する

壁の装飾には、シドニーで話題になった手書き文字「Eternity」(エターニティ=永遠)(英語)を断片にして使用 – この言葉を30年にわたり、街のあちこちの歩道に黄色のチョークで落書きした人物アーサー・ステイス(英語)を想起させる。

ダニエル・リベスキンド設計のベルリン・ユダヤ博物館(ドイツ・1999年開設)からの連想はもっとも議論を呼んだ。

統合のコンセプトには「もつれた概念」という発想を採用し、建築物のスキームには次のようにさまざまな概念が組み込まれた。

「哲学テープ」 – ビア・マドック(英語)の発想。

『ブルー・ポールズ』(英語) – ジャクソン・ポロックの絵画

ブール数列、結び目アリアドネーの系

先住民のドリームタイム(英語) – 虹蛇が天地を創造したという物語[注釈 1]
英文点字「mate」(友だち[注釈 2]

当館の基本図はユダヤ教のダビデの星を分割し、リベスキンドがベルリンの博物館設計に際して描いたジグザグの線を正確に再現している。オーストラリアの雑誌『ザ・ブレティン』(英語)2000年6月号が初めて盗用の類推を掲載し、写し取られたと知ってリベスキンドは怒りを隠さなかったという。対する設計家ラガットは、剽窃ではなく引用であると反論した[7]。当時のドーン・ケイシー館長 Dawn Casey は評議会でこの設計案を承認したとき、誰もこめられたシンボルに気づかなかったと述べた[8]

建物の外壁に使われた耐食性アルミパネルの多くには、単語を点字その他の記法で書いてある。メッセージには「友情「彼女の方が正しい」などが含まれ、「謝罪します」や「私たちがおかした皆殺しを許してほしい」など、物議を醸しそうな言葉や言い回しも含まれた。これら論争の種となりそうなメッセージは読み取れないように、銀色の円盤で点字を覆って隠してある[9]

結び目の主題は正面玄関の形に引き継がれる。直方体の建物の表面には、結び目を中から押しつけて輪郭をなぞったかのように突出して見える。対称形から脱けだした複合体は博物館らしくない外観を意図しており、ドキッとするような色づかいや角度、見たこともない空間、思いがけないところに凸部(とつぶ)があったり、予測を裏切る表面処理を施してある。

正確な分類は難しいとしても、当博物館本館はチャールズ・ジェンクス(アメリカ)の「新しいパラダイム」の一例と捉えることができ[10]、また脱構築主義建築の特徴も見出される。

点字で表した言葉の中に、Resurrection city「復活の日」があり、その意味はこの敷地にかつて立っていた王立キャンベラ病院を取り壊して更地(さらち)にしたときに死者を出したことなのか、そこに博物館を築いたことなのか、あるいは オーストラリア先住民とヨーロッパ系入植者との和解なのか。この語句をラガットはメルボルンのストーリー会館(英語)の外装タイルにラベルとして記しており、メッセージについて述べた。「この建物にとっては何か大きなものを目指すこと、その周囲の追想の数々にも関わるのだと思う」[11]

建築施工と監理はレンドリース(英語)で、完成年は2001年である[12]
低気圧の被害中央展示室

2006年12月29日の夜間に低気圧が激しい雷雨を伴ってキャンベラを通過し、当館は管理部門の屋根に甚大な被害を受けた。積もった雹の重さで屋根が陥没、電気の配線が露出し館内は床に2 cmの雨水が溜まった[13]。また当時はオーストラリアの海難救助員ライフサーバーを主題としたオーストラリア画家の展覧会を行なっており、雨漏りで絵画数点が濡れた[14][15]。当館の主展示室には被害が及ばず、収蔵資料あるいは収蔵庫も無事であった。翌々日には臨時休館を解いており、修理費用は総額50万オーストラリアドル超とされた。


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