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オーギュスト・コント
Auguste Comteオーギュスト・コント
生誕 (1798-01-19) 1798年1月19日
フランス共和国、オクシタニー地域圏エロー県モンペリエ
死没 (1857-09-05) 1857年9月5日(59歳没)
フランス帝国、パリ
時代19世紀の哲学
地域モンペリエ、パリ
学派西洋哲学、実証主義、社会学
研究分野科学史、科学哲学、社会構造論、社会変動論
主な概念実証主義、社会静学、社会動学、三段階の法則(神学的段階/形而上学的段階/実証的段階)、「予見するために観察する。予知するために予見する」('Voir pour prevoir, prevoir pour prevenir.')、人類教、実証暦
影響を受けた人物
ルネ・デカルト、フランシス・ベーコン、アイザック・ニュートン、ヴォルテール、ジャン=ジャック・ルソー、デイヴィッド・ヒューム、アダム・スミス、ニコラ・ド・コンドルセ、シャルル・ド・ブロス、ガスパール・モンジュ、ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ、マリー・フランソワ・クサヴィエ・ビシャ、ジョゼフ・ド・メーストル、フランツ・ヨーゼフ・ガル、アンリ・ド・サン=シモン、ジャン=バティスト・セイ
影響を与えた人物
ジョン・スチュアート・ミル、ハーバート・スペンサー、カール・マルクス、マックス・ウェーバー、エミール・デュルケーム、アンソニー・ギデンズ・清水幾太郎をはじめとする社会学者
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イジドール・オーギュスト・マリー・フランソワ・グザヴィエ・コント(フランス語: Isidore Auguste Marie Francois Xavier Comte、1798年1月19日 - 1857年9月5日)は、フランスの社会学者、哲学者、数学者、総合科学者。1817年からアンリ・ド・サン=シモンの教えをうけ、助手を務めたこともあったが、1824年にけんか別れした。1841年から1847年までジョン・スチュアート・ミルと親交があった。「社会学」という名称を創始し、彼の影響を受けた英国のハーバート・スペンサーと並んで社会学の祖として知られる。『社会再組織に必要な科学的作業のプラン』、『実証哲学講義』、『通俗天文学の哲学的汎論』、『実証精神論』などの著作がある。生涯を在野の学者として過ごし、パリで死去した。 1798年1月19日、コントは南フランスのモンペリエに生まれた。 1814年パリの高等教育機関エコール・ポリテクニックに入学を果たしたが、卒業を前に大学で起きた騒動の首謀者とされて退学処分を受けた。結局、復学せずに1817年以降アンリ・ド・サン=シモンの秘書となってその薫陶を受けたが、1824年に絶縁した。コントはサン=シモンから得た思想を体系化させていき、革命と王政復古後の混乱にあったフランスの再建を志して、1822年に『社会再組織に必要な科学的作業のプラン』を執筆した。サン=シモンから自立したコントは数学の家庭教師をしながら生計をたて、1826年には自宅で実証哲学の講義を開始するようになった。 コントはフランス革命後の市民社会の危機克服を生涯の念願として社会再組織の原理確立に努め、1830年から1842年にかけて『実証哲学講義』を全六巻で刊行した。コントは、人間の知識を神学的/形而上学的/実証的の三段階を経るとし、最後の段階で真に予見が可能となる科学的知識に至るとした。そして、実証科学の体系を、単純から複雑の順に、数学・天文学・物理学・化学・生物学・社会学の六つの領域に分類し、社会学を社会静学と社会動学に分けてそれぞれの任務を明らかにした。 「社会学の父」と称されるが、晩年には交際していた女性クロティルド・ド・ヴォーの死によって宗教的傾向を強め、「人類教」を唱えて自らその大祭司となるなど、かつての科学主義を離れた。1857年9月5日、パリで病没した[1]。 1798年1月19日、コントはフランス共和国の南部・地中海に面したオクシタニー地域圏のエロー県の都市モンペリエで生まれる[2]。 父は徴税官を務めるルイ・オーギュスト・コント、母は旧姓ロザリ・ポワイエという女性で、両親は1796年12月31日に結婚して、間もなくこの二人の夫婦の間にコントは長男として誕生した。その後、一家には妹が一人、そして二人の弟が生まれた。両親は熱心なカトリック信者で王党派の支持者であった。したがって、両親は長男に立派なカトリック信者となってもらいたいとの願いから聖母マリアや聖人たちの名をつけ、イシドール・オーギュスト・マリー・フランソワ・グザヴィエ・コントと命名する[3]。 フランス革命以降、フランスでは第一共和政が樹立され、啓蒙の名のもとに 非キリスト教化運動が進められていた。
概要
経歴
誕生