オーギュスト・オッタン
Auguste Ottin
ナダールが撮影した肖像写真
誕生日1811年11月11日
出生地フランス、パリ
死没年1890年12月7日
死没地フランス、ヌイイ=シュル=セーヌ
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オーギュスト・オッタン(Auguste-Louis-Marie Jenks Ottin、1811年11月11日 - 1890年12月7日)はフランスのアカデミック美術の彫刻家である。 パリで生まれた。父親のAuguste Denis Victoire Ottin (1787年生まれ)は工芸家である。1825年にパリ国立高等美術学校に入学し、ダヴィッド・ダンジェの学生になった。11歳でドミニク・アングルのアトリエに入った画家のテオドール・シャセリオー(1819-1856)と友人になり、シャセリオーは1833年にオッタンの肖像画を描いた。オッタンは1836年に、ジャン=マリー・ボナシュー(Jean-Marie Bonnassieux: 1810-1892)とともに彫刻部門のローマ賞を受賞した。その後、5年間、在ローマ・フランス・アカデミーに留学した。 フランスに戻った後、1841年にサロン・ド・パリに出展した作品が好評で、オルレアン公フェルディナン・フィリップ のような7月王政(1830年-1848年)の要人から注文を受けるようになり、多くの公共施設の仕事をした。 1867年にレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)を受勲した[1] 。 息子のレオン・オーギュスト・オッタン(Leon-Auguste Ottin: 1836-1918)は画家、ステンドグラス作家になり、印象派の画家たちと行動した。オーギュスト・オッタンも1874年にクロード・モネやエドガー・ドガらが企画した「第1回印象派展」と呼ばれる「画家、彫刻家、版画家などによる共同出資会社の第1回展」に、息子とともに参加し、彫刻を出展している。 引退してヌイイ=シュル=セーヌで暮らし、そこで亡くなった[2]。
略歴
作品
聖母子像(1846)
『アーキスとガラテアを驚かせたポリュペーモス』 (1866)
ラウラ・デ・ノベス
アペレスの前で着衣をぬぐカンパスペ (1883)
脚注^ ≪ Ottin, Auguste Louis Marie ≫ base Leonore, ministere francais de la Culture.
^ ⇒Archives departementales des Hauts-de-Seine acte de deces 587 dresse le 08/12/1890, vue 224 / 264
参考文献
Simone Hoog, preface de Jean-Pierre Babelon, avec la collaboration de Roland Brossard, Musee national de Versailles. Les sculptures. I. Le musee, Paris, Reunion des musees nationaux, 1993.
Emmanuel Schwartz, Les sculptures de l'Ecole des Beaux-Arts de Paris. Histoire, doctrines, catalogue, Paris, Ecole nationale superieure des Beaux-Arts, 2003.
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