オーガスタ・オブ・サクス=ゴータ
Augusta of Saxe-Gotha
プリンセス・オブ・ウェールズ
出生 (1719-11-30) 1719年11月30日
神聖ローマ帝国
ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公国、ゴータ
死去 (1772-02-08) 1772年2月8日(52歳没)
グレートブリテン王国
イングランド、ロンドン、カールトン・ハウス
埋葬1772年2月15日
グレートブリテン王国
イングランド、ロンドン、ウェストミンスター大聖堂
配偶者フレデリック・ルイス(プリンス・オブ・ウェールズ)
子女一覧参照
父親ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公フリードリヒ2世
母親マグダレーナ・アウグスタ
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オーガスタ・オブ・サクス=ゴータ(英語: Augusta of Saxe-Gotha, 1719年11月30日 - 1772年2月8日)は、イギリス王ジョージ2世の長男フレデリック・ルイス王太子(プリンス・オブ・ウェールズ)の妃(プリンセス・オブ・ウェールズ)、ジョージ3世の母。
ドイツ名はアウグスタ・フォン・ザクセン=ゴータ=アルテンブルク(Augusta von Sachsen-Gotha-Altenburg)。父はザクセン=ゴータ=アルテンブルク公フリードリヒ2世[1]、母はアンハルト=ツェルプスト侯カール・ヴィルヘルムの娘マグダレーナ・アウグスタ。 1736年4月17日、オーガスタは16歳で英語もわからぬまま、セント・ジェームズ宮殿で結婚した。12歳年上のフレデリック・ルイスとの結婚生活は幸せなものだった。夫妻はハンプトン・コート宮殿に住んだ(夫が自分の両親と不仲であったためである)。しかし、長女オーガスタ・シャーロット出産の際、陣痛が始まってからオーガスタはセント・ジェームズ宮殿へ移されて出産した。夫の影響もあり、ジョージ2世やキャロライン王妃とは不仲だった。 1751年に夫が亡くなると、王位継承者の母であるオーガスタの発言権が強まり、政治に関わろうとする姿勢が露わになった。彼女はジョージ王子の専属教官であったビュート伯(のちの首相)と意見を同じにするようになり、2人は恋仲なのではないかという噂まで出た。さらに、ジョージ王子もいないのにビュート伯がオーガスタ妃と会っていたと中傷された。1760年のジョージ3世即位後も、オーガスタの増長は国民の非難の的だった。 1772年、52歳で喉頭癌により死去したが、葬儀に野次馬が大勢集まり、棺が墓地に運ばれる際にもオーガスタを侮辱する声が叫ばれたという。 夫フレデリック・ルイスとの間に5男4女をもうけた。
生涯
子女
オーガスタ・シャーロット(1737年 - 1813年) - ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公カール・ヴィルヘルム・フェルディナントと結婚。ジョージ4世妃キャロラインの母。