オレグ・カガン
[Wikipedia|▼Menu]

オレグ・モイセーエヴィチ・カガン
シベリウス生誕100年にアイノラでシベリウス夫人のアイノ・シベリウス(右)と共に(1965年)
基本情報
生誕 (1946-11-22) 1946年11月22日
出身地 ソビエト連邦ユジノサハリンスク
死没 (1990-07-15) 1990年7月15日(43歳没)
学歴リガ音楽院
ジャンルクラシック音楽
職業ヴァイオリニスト
担当楽器ヴァイオリン

オレグ・モイセーエヴィチ・カガン(ロシア語: Олег Моисеевич Каган、ラテン文字転写例: Oleg Moiseyevich Kagan、1946年11月22日 ユジノサハリンスク - 1990年7月15日 ミュンヘン)はソビエト連邦ヴァイオリニストである。
経歴

7歳でラトビアリガ音楽院に入学してヨアヒム・ブラウンに師事。その後は1959年にモスクワ中央音楽学校に進み、ボリス・クズネツォフとダヴィッド・オイストラフの薫陶を受け、後者の愛弟子となって私的にも親しい関係を育んだ。コンクールに参加して数々の賞を授与されており、1964年にはブカレスト・エネスコ・コンクールにおいて4位を、1965年には、ヘルシンキシベリウス・コンクールにおいて第1位とチャイコフスキー・コンクールにおいては第2位を、1968年にはライプツィヒバッハ・コンクールにおいて第1位を獲得した。

チェリストナターリヤ・グートマンと結婚し、たびたび共演する機会を持った。1969年からはスヴャトスラフ・リヒテル室内楽の定期的なパートナーとして活動を続けた。いわゆる「リヒテル・ファミリー」の中核的な存在だった。バイエルン州のヴィルバート・クロイト(de:Wildbad Kreuth)において音楽祭を主催し、このファミリーとの共演で親密な演奏を聴かせた。

1990年、のため43歳で死去した。ヴィルバート・クロイトでの音楽祭は彼の生前の功績を讃えてオレグ・カガン国際音楽祭と改名され、妻のグートマンやリヒテルなどによって継承された。
参考資料

Alan Paris: Lexikon der Interpreten klassischer Musik im 20. Jahrhundert. DTV, Munchen und Kassel 1992,
ISBN 3-423-03291-X

Harald Eggebrecht: Grose Geiger Munchen, Piper 2000, ISBN 3-492-04264-3

Albrecht Roeseler: Grose Geiger unseres Jahrhunderts Munchen, Piper 1988, ISBN 3-492-03063-7

脚注

更新日時:2018年2月27日(火)11:46
取得日時:2019/01/31 13:40


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:5639 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef