オレたちひょうきん族
[Wikipedia|▼Menu]

オレたちひょうきん族
別名ひょうきん族
ひょうきん
ジャンル
お笑い番組 / バラエティ番組
出演者ビートたけし
明石家さんま
島田紳助
片岡鶴太郎
山田邦子
西川のりお
ぼんちおさむ
大平サブロー
大平シロー
島崎俊郎
川上泰生
小林すすむ
渡辺正行
ラサール石井
小宮孝泰
ウガンダ・トラ
ほか
オープニング「ウィリアム・テル序曲[1]
エンディングエンディングテーマ曲を参照
製作
プロデューサー横澤彪(初代) / 三宅恵介(2代目)
制作フジテレビ

放送
音声形式モノラル放送
放送国・地域 日本

特番時代
放送期間1981年5月16日(第1回)
5月30日(第2回)
6月6日(第3回)
6月13日(第4回)
6月27日(第5回)
7月11日(第6回)
7月18日(第7回)
8月29日(第8回) - 30分拡大放送
放送時間土曜日 20:00 - 20:54
放送分54分

レギュラー放送時代
放送期間1981年10月10日 - 1989年10月14日
放送時間土曜日 20:00 - 20:54
放送分54分
テンプレートを表示

『オレたちひょうきん族』(オレたちひょうきんぞく)は、フジテレビ系列1981年5月16日から1989年10月14日まで毎週土曜日20:00 - 20:54(JST)に放送されていた日本お笑いバラエティ番組。通称「ひょうきん族」「ひょうきん」。
概要

1981年5月16日に『決定!土曜特集・オレたちひょうきん族』のタイトルで、ナイター中継中止時の雨傘番組として放送され、同年10月10日より『決定!土曜特集』の冠を取ってレギュラー放送となった。そのため、土曜日にプロ野球中継ヤクルト大洋中日主催の巨人戦)がある時はしばしば番組が返上された。

放送当時、フジテレビ社内では視聴率ノルマが廃され、制作者が作りたいものを作る路線に転じ、「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズにしていた頃で、作り手側の制作意欲の向上と、出演者である若手芸人の漫才ブームによる勢いとが相まったバラエティ番組である[1]。『欽ドン!』以降低迷状態が続いていたフジテレビの土曜20時台を立て直し、1980年代バラエティのリーダー格番組に登り詰めた。8年半の平均視聴率は、17.8%(ビデオリサーチ、関東地区)[2]。最高視聴率は1985年12月28日のスペシャル回での29.1%。通常回での最高視聴率は1986年2月15日の27.3%。

開始当時の裏番組には『8時だョ!全員集合』(TBS系)が放送されており[1]、ビートたけしによると『全員集合』をどうやって視聴率で倒すかということを目標にスタッフたちと色々考えた[3]。視聴者について『全員集合』の主な視聴者とされる小・中学生ではなく、『ひょうきん族』では高校生や大学生[注釈 1]をメインターゲットに番組作りが考えられた[3]。また、『全員集合』の「台本通りに作り込まれた王道コント」に対して、『ひょうきん族』では面白いと思ったらタレントだけではなくスタッフまでネタにするなど、アドリブと内輪ウケを重視した[3]。加えて、片岡鶴太郎と島崎俊郎によると『全員集合』でドリフがグループで笑いを取るなら、『ひょうきん族』では出演芸人のトリオもコンビもバラにして一人一人の個性で笑いを取ることにしたとのこと。また『全員集合』の公開生放送または公開録画に対して、『ひょうきん族』では客入れなしの収録となった[4]

雨傘番組時代の初回視聴率は9.5%、その後も8?10%前後と当初は全く相手にならなかったが、第7回目の放送で13.4%を記録し(視聴率はいずれも関東地区、ビデオリサーチ社調べ)、これを受けて同年10月にレギュラー番組へと昇格した[1]。その後上記の番組戦略が成功したこともあり、1984年度の年間平均視聴率で19.5%を記録し、ライバル視していた『全員集合』の年間平均視聴率18.2%を抜いてからは常時20%以上の視聴率を記録するようになり、1985?1987年頃までは当番組の独走状態が続いた。

また、吉本興業に代表される在阪のプロダクションと、渡辺プロ太田プロに代表される東京のプロダクションのタレントがレギュラー番組で共演することは当時としては非常に画期的であり、本番組の人気は吉本興業の東京進出[注釈 2]に多大な貢献を果たした。

初めはお笑い番組らしく漫才コーナーもあったが、「つまらない」「人気が出ない」と見るやすぐに企画をやめ、新企画を練っていた。また、初期においてはスタジオに一般視聴者を入れてのコーナーもあったが、その後は客は入れず、ギャグごとに笑い声が被さる演出(録音笑い・ラフトラック。外国のシチュエーション・コメディでよく見られる、いわゆる声のエキストラ)がなされた。一方、「(レギュラー・ゲスト歌手による)歌のコーナー」は設けられず、こちらは当時のバラエティ番組としては異例の構成であった。

オープニングに流れる曲は、ロッシーニ作曲の『歌劇「ウィリアム・テル」序曲第4部「スイス軍隊の行進(終曲)」』。これは『スネークマンショー』のオープニングをパロディしたことによるもので、放送当初は『スネークマンショー』の伊武雅刀がナレーションを行っていた。その後、『奥さまは魔女』『キャンディ?キャンディ』などの過去の人気番組のキャラクター同士が掛け合いをする期間もあった(「オープニングナレーション」参照)[5]。オープニング映像は、当初スキャニメイトなどによる単純な合成映像を用いていたが、1983年4月からは東洋現像所ビデオセンター(現:IMAGICA Lab.)制作による当時としては珍しい最先端のCG映像を使用しており、以後エンディングにおいてもCGが使われるようになった。

エンディングはEPOの『DOWN TOWN』。EPOは番組初期のアイキャッチも担当していた。それ以外のエンディングは後述参照。

番組のBGMには、『バビル2世』、『勇者ライディーン』、『超電磁ロボ コン・バトラーV』、『機動戦士ガンダム』、『うる星やつら』、『超時空要塞マクロス』、『宇宙刑事ギャバン』、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』、『必殺シリーズ』、『スパイダーマン』、『大鉄人17』などのサウンドトラックがよく用いられていた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:403 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef