オレたちひょうきん族のコーナー一覧(おれたちひょうきんぞくのコーナーいちらん)は、かつてフジテレビ系列で放送されていたバラエティ番組『オレたちひょうきん族』のコーナーについて詳述する。
メインコーナー
タケちゃんマン詳細は「タケちゃんマン」を参照
ビートたけし扮するタケちゃんマンと明石家さんま[注 1]扮するブラックデビル等の敵キャラによるコーナードラマ。人気ドラマや映画のパロディが多かった。「アミダばばあの唄」はサザンオールスターズの桑田佳祐がプロデュースを行った。
当時の人気音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)のパロディコーナー。単発放送時のタイトルは『オレたちひょうきん族ザ・ベストテン』であったが、レギュラー進出後に名称変更。オープニングと最初のCMとを隔てて、最初に登場したコーナーであったため、番組開始から約5分頃に放送[注 2]。コーナー放送時間(約15分)の制約上、本家と同様に10位 - 1位全ての曲をフル歌唱で紹介できないため、司会者の挨拶の後に10位 - 4位の曲をフラッシュ形式[注 3]で発表し(1曲につき約10秒)、スポットライトを挟んで上位3曲を紹介した。番組の前半に放送していたのは、開始当時の裏番組『8時だョ!全員集合』の前半コントと、本番組のメインコントである「タケちゃんマン」が両方見られるように配慮したためとされる。 初期の司会は、明石家さんまと黒柳徹子の声色を使う栗山順子が担当したが、レギュラー進出を機に島田紳助[注 4]と山村美智子(現・山村美智)[注 5]に交代。紳助はコーナー終了まで続投、山村の降板以後は寺田理恵子[注 5]、長野智子[注 5]と後輩アナウンサーが紳助のパートナーを代々引き継いだ[1]。 当時、NHKも含めテレビ局のアナウンサーはニュースや天気を読むことが中心であり、バラエティ番組に出演することは滅多になかった[注 6]。だが、このコーナーに局の女性アナウンサーが出演したことで、その後の女子アナウンサーのタレント化に先鞭をつける形となった。加えて、山村や寺田はこれが縁でレコードデビューも果たしている。 また、紳助の司会者としての基礎を築いたコーナーでもあり、後に紳助は『歌のトップテン』(日本テレビ系)において和田アキ子と二人で、本物の歌謡ランキング番組の司会者に起用されている。さらに、紳助と同じ当番組のレギュラー出演者で、同コーナーにもほぼ毎回登場したコント赤信号の渡辺正行は、『ザ・ベストテン』の4代目司会者へ正式に抜擢されたほか、後年同じくTBS系にて放送された音楽番組『突然バラエティー速報!!COUNT DOWN100』の司会を山田邦子と共に務めた[注 7]。 そして長野はフリー転向後、『ザ・ベストテン』番組終了後の1991年3月から約1年間放送された『思い出のベストテン』(TBS系)の司会役を担当。その他、1991年10月に特別番組で放映の『今夜だけ!ご本家復活ザ・ベストテンスペシャル』と、同年12月に特番放送の『総決算!ザ・ベストテン1991年末スペシャル』(共にTBS系)でも長野は、同番組レギュラーの山田邦子と共に司会を務めていた。 スタート当初こそ、レギュラーの出した曲でランキングを形成し、スクールメイツの代わりに東京花柳社中
ひょうきんベストテン