オルレアン包囲戦
オルレアン包囲戦におけるジャンヌ・ダルク。ジュール=ウジェーヌ・ルヌヴー作、1886年 - 1890年。
戦争:百年戦争
年月日:1428年10月12日 - 1429年5月8日
場所:オルレアン、フランス
結果:フランスの決定的な勝利
交戦勢力
イングランド王国フランス王国
スコットランド王国
指導者・指揮官
第4代ソールズベリー伯 †
第4代サフォーク伯
第7代タルボット男爵
トーマス・スケールズ
ウィリアム・グラスデール †ジャン・ド・デュノワ
ジャンヌ・ダルク(戦傷)
ジル・ド・レ
ジャン・ド・ブザック
ブルターニュ継承戦争(1341年 - 1364年)
シャントソー - ブレスト - モルレー - サン・ポル・ド・レオン - ラ・ロッシュ=デリアン - 30人の戦い - モーロン - オーレ
百年戦争(1369年 - 1389年)
コシュレル - リモージュ - ナヘラ - モンティエル - ポンヴァヤン - ラ・ロシェル - ローゼベーケ
百年戦争(1415年 - 1453年)
アジャンクール - ルーアン - ラ・ロシェル(第2次) - ボージェ - モー - クラヴァン - ヴェルヌイユ - オルレアン - ニシンの戦い - ジャルジョー - モン=シュル=ロワール - ボージャンシー - パテー - パリ - コンピエーニュ - ジェルブロワ - フォルミニー - カスティヨン
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オルレアン包囲戦(Siege of Orleans)は、イングランドとフランスの百年戦争においてターニングポイントとなった、フランスのオルレアンで1428年10月12日から1429年5月8日にかけて起きた戦闘である。この包囲戦は、ジャンヌ・ダルクの主要な軍事行動における最初の勝利であり、1415年にアジャンクールの戦いで敗れた後のフランスにとって、最初の大きな勝利であった。この包囲戦の結果、その後のイングランドの軍事力は下降線となっていった。
オルレアンはイングランド、フランスの双方にとって、戦略的にもシンボルとしても重要な街であった。現代の一致した意見としては、仮にオルレアンが陥落していたならば、イングランドの摂政ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスターにより、フランス全土を征服するというヘンリー5世の野望が実現されていたというものである。半年間にわたりイングランドが優勢であったが、ジャンヌ・ダルクの到着後9日間で、イングランドによる包囲は崩壊した。
目次
1 背景
1.1 百年戦争
1.2 地理
1.3 領主不在のオルレアン
2 前段階
2.1 紛争の状態
2.2 ソールズベリー伯の接近
3 包囲戦の初期段階
3.1 トゥーレル砦攻撃
3.2 包囲
4 ニシンの戦い
5 ジャンヌ・ダルクがオルレアンへ到着
6 攻城戦
6.1 小休止
6.2 サン・ルー砦への攻撃