パリ=オルリー空港
Aeroport de Paris-Orly
IATA: ORY - ICAO: LFPO
概要
国・地域 フランス
所在地エソンヌ県、ヴァル=ド=マルヌ県
母都市パリ
種類民間
運営者ADPグループ
標高89 m (292 ft)
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯48度43分31秒 東経2度21分34秒 / 北緯48.72528度 東経2.35944度 / 48.72528; 2.35944
方向 ILS 長さ×幅 (m) 表面
02/20 有 2,400×60 アスファルト
06/24 有 3,650×45 コンクリート
08/26 有 3,320×45 コンクリート
夏時間:3月最終日曜日-10月最終日曜日
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空港の一覧
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パリ=オルリー空港(パリ=オルリーくうこう、仏: Aeroport de Paris-Orly[1])は、フランス・パリの国際空港。 パリ=シャルル・ド・ゴール空港と並ぶパリの玄関口のひとつ。空港敷地は、オルリーを含むパリ南の郊外コミューン7つにまたがっている。主にヨーロッパ域内、中近東、アフリカ、カリブ海方面へのフライトが就航している。 1932年に、ヴィルヌーヴ=オルリー空港(仏: Villeneuve-Orly Airport)として開港した。当時はル・ブルジェ空港の補助空港の位置付けだった。 1940年、ナチス・ドイツのフランス侵攻によりフランスはドイツに占領された。オルリー空港はドイツ空軍に接収され、戦闘機や爆撃機の部隊が空港に駐留した[3]。その結果、オルリー空港は連合軍の攻撃対象となり、イギリス空軍やアメリカ陸軍航空隊が繰り返し攻撃を行った。空港施設の多くが破壊され、滑走路には多数の爆弾痕が残った。 オーヴァーロード作戦により1944年8月にパリ周辺からドイツ軍が撤退した後、オルリー空港はアメリカ軍によって部分的に修復され、第9空軍 戦後も、アメリカ陸軍航空隊第1408部隊がオルリー空港を運営していた。陸軍航空隊は、ロカンクール
概要
歴史「オルリー空軍基地(英語版)」も参照
開設
第二次世界大戦
戦後
ル・ブルジェ空港の容量制限のため、エールフランスは1952年に全ての運航をオルリー空港に移した[6]。
1970年9月27日、手荷物ロッカー室で爆発が発生、空港従業員1人が負傷。ル・ブルジェ空港でも航空機に積み込まれる予定であった荷物が爆発する事件があった[7]。
1974年にシャルル・ド・ゴール空港(CDG)が開港して、ほとんどの国際線が移管され、以降はフランス・ヨーロッパ域内および旧フランス領土への旅客・貨物路線の発着が主となっている。
新型コロナウイルス感染症の世界的流行の影響により、2020年4月1日から同年6月25日までの間、オルリー空港からの全ての商業運航が停止され[8][9]、シャルル・ド・ゴール空港に移された。その間、オルリー空港は政府の航空機や、緊急時の迂回、医療避難のために使用された。
就航会社と就航地(英語版)、バスティア(英語版)、ビアリッツ、ブレスト(英語版)、ボルドー、カルヴィ(英語版)、クレルモン=フェラン(英語版)、フィガリ、モンペリエ、ペルピニャン(英語版)、ポー(英語版)、トゥーロン(英語版)
アフリカ: サン=ドニ
エールフランス
運航は オップ!ビアリッツ、ブレスト、クレルモン=フェラン、ルルド(英語版)、リヨン、ロリアン(英語版)、モンペリエ、ナント、ペルピニャン、ポー、トゥーロン、カンペール(英語版)、アジャン(英語版)、ブリーブ・ラ・ガイヤルド(英語版)、ミュールーズ(ユーロエアポート)、オーリヤック(英語版)、カストル(英語版)
エール・コルシカアジャクシオ、バスティア、カルヴィ、フィガリ
コルセール・インターナショナルポートルイス、ダカール、アビジャン、ザウジ(英語版)、サン=ドニ、アンタナナリボ