オルフェオとエウリディーチェ
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『オルフェオとエウリディーチェ』
1764年版の楽譜のイラスト。
ジャンルオペラ
作曲者クリストフ・ヴィリバルト・グルック
作曲年1762年
初演1762年10月5日
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『オルフェオとエウリディーチェ』(イタリア語: Orfeo ed Euridice、 フランス語: Orphee et Eurydice)は、クリストフ・ヴィリバルト・グルックが作曲した3幕からなるイタリア語オペラで、フランス語改訂版は『オルフェとウリディス』あるいは『オルフェとユリディス』と表記される[1]。グルックのオペラの中で最も有名な作品である。
概要オルフェオを演じたガエターノ・グアダーニ。ジョゼフ・デュプレシによるグルック

グルックは1741年に、メタスタージオの台本によるオペラ『アルタセルセ』(現在は紛失?)によって、オペラ作曲家としてデビューを果たす。イタリア国内で8作ものオペラを発表したのち、ロンドンに招かれ、同地でヘンデルと親交を結んだ。1750年に結婚したのち、1754年にオペラ『中国の女たち』を発表して大成功を収め、これにより宮廷音楽監督の称号を得た[2]。『オルフェオとエウリディーチェ』は1762年に作曲された。台本作者のラニエーリ・カルツァビージと共にオペラ・セリアの改革に乗り出し、オペラ改革理論を実践で示した最初の作品である[3]神聖ローマ皇帝フランツ1世霊名日に当たる1762年10月5日ウィーンブルク劇場で初演された。音楽劇の改革理論に基づいて作曲されたもので、初演当時から大成功を収め、グルックのオペラの代表作となった。本作で「革新的なことは歌劇史上初めてチェンバロによるレシタティーヴォを管弦楽伴奏に変え、二つの明確に相違する音色をもつ歌劇の流れを同質の音色で一貫するようにしたことである」[4]リブレットギリシア神話オウィディウスの「転身物語」(または転身譜)第10巻第1章と第11巻、及びウェルギリウスの「農耕歌」第4篇に基づいて、ラニエーリ・カルツァビージにより作成された。本作は「イタリア語のオペラではあるが、多くをフランスのオペラとドラマに負っている。カルツァビージは長くパリに住んでいたが、ここで彼が体験したフランスの演劇とオペラの影響は本作の台本を通じて明らかである。?中略?グルック自身フランスのトラジェディ・リリックオペラ・コミックの両方に通じており、その影響は本作に明確に示されている」[5]。このオペラによって、ベルリオーズワーグナーらに多大な影響を与えた。
初演後の展開

イギリス初演は1770年4月7日ロンドンのキングズ劇場にてグアダーニ、ザンパリーニの出演で行われた。アメリカ初演は1863年5月25日ニューヨークのウィンター・ガーデンで行われた。出演はヴェストヴァーリ、ロッター、ギアリーであった[6]

なお、このオペラは日本人が最初に上演した本格的な歌劇として、日本洋楽史上においても記憶されるべき作品である。1903年(明治36年)7月23日東京音楽学校奏楽堂での上演は、東京音楽学校のオペラ研究会と東京帝国大学文科大学のワグネル会の学生等による自主公演で、学校のオーケストラは使えず、ラファエル・フォン・ケーベルがピアノで伴奏した。ノエル・ペリ(フランス語版)の指揮で、オルフェオを吉川やま、エウリディーチェ(百合姫)を柴田環(三浦環)、アモールを宮脇せんが演じた[7]。背景は白馬会山本芳翠(デザイン)、白滝幾之助北蓮蔵湯浅一郎東京美術学校教授の岡田三郎助藤島武二が担当。この時はワグネル会の石倉小三郎乙骨三郎吉田豊吉、近藤逸五郎(近藤朔風、東京音楽学校選科)が訳詩を担当し、日本語上演された[8]。その費用はオペラ研究会の学生でテノールとして合唱に参加した渡部康三の兄、渡部朔が負担していた[9][10]

その後、森?外も訳詩を完成させたが、上演に至らず、鴎外訳での完全上演は2005年(瀧井敬子・プロデュース、高関健・指揮)[11]まで待つ事となった。なお、森鴎外による訳(『鴎外全集』19巻、岩波書店;瀧井敬子『森鴎外訳オペラ『オルフエウス』』紀伊国屋書店)があり、その経緯や改訂版に関しては、瀧井敬子「新発見の森?外直筆の『オルフエウス』第二訳稿をめぐって」『東京藝術大学音楽学部紀要』34(平成21年3月、PDFあり)がある。なお、瀧井敬子「漱石が聴いたベートーヴェン」(中公文庫)にも二つの上演の経緯の概略が述べられている。

近年の日本での特筆すべきものとしてはパリ版の上演が挙げられる。2017年 12月に北とぴあさくらホールにて寺神戸亮の指揮、 マティアス・ヴィダル(オルフェ)、ストゥキン・エルベルス(ウリディス)、鈴木美紀子(アムール)の配役で、レ・ボレアードの管弦楽と合唱、ラ・ダンス・コントラステの舞踏によるセミ・ステージ形式で行われた[12]
1774年パリ版パリ版の楽譜の表紙。

『オルフェオとエウリディーチェ』には複数の版が存在し、ウィーン版(Wq.30、ウィーン原典版とも)とパリ版(Wq.41)と呼ばれているものがグルックによって作曲された重要なものである。上記の1762年にウィーン宮廷劇場で初演されたのがウィーン版であるが、パリ版は1774年8月のパリのオペラ座での上演に際して改作したものである。パリ版にはバレエ曲やアモーレの最初のアリアフルート独奏の「天国の野原」(いわゆる「精霊の踊り」)の場面が追加されている。またフランス語台本は詩人のピエール=ルイ・モリーヌ( Pierre-Louis Moline)がイタリア語台本から翻訳している。パリではカストラートが好まれなかったことから、オルフェオ役はオートコントルに変えられ、歌や器楽曲が増やされて、作品全体の規模が大きくなり、オペラ座の大編成のオーケストラを十分に生かすように手が加えられた[13]


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