オルバースのパラドックス
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星が限りなくあるのであれば、夜空はこのようにいたるところ輝いて見えるはずだが、実際にはそう見えないのはなぜだろうか。

オルバースのパラドックス(Olbers's paradox, Olbers' paradox)とは、「宇宙恒星の分布がほぼ一様で、恒星の大きさも平均的に場所によらないと仮定すると、空は全体が太陽面のように明るく光輝くはず」というパラドックスである。

その名は、18 - 19世紀の天文学者であるヴィルヘルム・オルバースに由来する。ただしオルバースが最初に提起したわけではない。オルバースの逆説、オルバースの逆理、オルバースの背理、ド・シェゾー=オルバースのパラドックス(de Cheseaux-Olbers paradox)[1]などともいう。

このパラドックスの帰結は、星は距離の2乗に反比例して見かけの面積が小さくなるが、距離が遠い星の数は距離の2乗で増えるので、これらはちょうど打ち消しあい、どの方向を見てもいずれかの星のまばゆい表面がみえるはずだという推論に基づく。現在では、そのために必要な距離や時間あるいは星の密度は、実際の宇宙の大きさ・年齢・密度よりおよそ10兆倍も大きなものとなることが明らかとなったため、パラドックスの前提は成立しないことがわかっている。これと同様に「宇宙が一様で無限の広がりを持つ」ことを前提とした天文学のパラドックスにゼーリガーのパラドックスがある。
概説
パラドックスの内容もし星がどこまでも偏りなく分布しているなら、星の表面の割合はどの距離を考えてもほぼ等しいはずである。このときどの方向をみてもほとんど必ず星の表面が見え、夜空の暗闇は消え去っていたはずだ。

ガリレオが始めに見出したように、夜空を望遠鏡で観察すれば、肉眼では見ることのできなかった暗い星を多数見ることができ、星の世界は遥か彼方まで広がっているように思える。一方、こうした星は空を覆い尽くすことなく、その間には遥かに広い暗闇が広がっているのもわかる。16世紀ごろより20世紀の初めまで天文学者は宇宙が無限に広がっているのではないかと想定してきたが、そのときこうした広大な宇宙では全体が太陽面のように輝くはずであり、夜空の暗闇という観測事実と相容れない謎であることを示したのがオルバースのパラドックスであった[2]

もし宇宙が無限に広く一様に星が分布しているのなら、地上から空を見上げた視線は、やがていずれか星の表面にほぼ間違いなくたどり着くだろう。この直観は次のような考察からより明確となる。ある物が視野の中に占める見かけの面積は、その物が遠ざかるほど小さくなり、倍の距離となればその見かけの面積は1/4となる。このとき見かけの面積あたりの明るさは同じであり、明るさもまた1/4となる。この事情は恒星でも同じである。例えば、もし地球から100光年の距離にある星が倍の200光年に遠ざかれば、見かけの面積と明るさは1/4となる。その一方で、距離100光年付近(例えば前後1光年)にある星の数と、その倍、200光年の同じ幅にある星の数とを比べると、後者はほぼ4倍の体積を考えていることになり、星が宇宙にほぼ一様に分布しているなら、後者にはほぼ4倍の数の星が含まれているだろうと考えることができる。さらに星の大きさも場所によらないと考えれば、結局、100光年付近の星すべての見かけの面積の総和と、200光年付近の星すべての見かけの面積の総和は、ほとんど変わらないと期待することができる。

このことは、どんな距離を考えても一般に成り立つ。すなわち、n 倍の距離を考えれば、星の見かけの面積は 1/n2 倍となる一方で、考えている領域の大きさは n2 倍となるので、結局、星全体の見かけの面積は距離に依存しない(右上の模式図を参照)。よって、宇宙が十分大きければ、よほど星が特殊な配置をしていない限り、より遠い距離までの星を考えるとともに空は星の表面によって一定の割合で埋め尽くされていかなければならないことになる。このとき、見かけの面積あたりの明るさは距離によらないので、恒星がどれも太陽と同じ程度に輝いているとすれば、空は太陽表面のようなまばゆい光で覆い尽くされる。この明るさは、我々が太陽表面まで降りていったときの明るさと考えることもできる。結局、宇宙の構造が場所によらない、すなわち宇宙の恒星の分布がほぼ一様で、光度も大きさも平均的に場所によらないという妥当と思われた仮定をおくと、無限もしくは十分に大きな宇宙では、実際の夜空の背景がなぜ暗いのか説明が必要な事柄となる[3]十分大きな森では、幹にさえぎられて森の向こう側を見通すことが出来ない。これはオルバースのパラドックスの推論が示す事柄の2次元版と見なすことができる。

この議論はまた、しばしば平坦な森の中でみる木々の幹に例えられる[4]。森は2次元に広がるので、森の中の観測点からある距離にある木々の数は距離に比例して(距離の1乗で)増えるが、その幹の見かけの幅も反比例(逆1乗)で小さくなり、各距離での見かけの幅の合計は距離によらないと期待される。小さな林ならば、木々の幹の隙間から向こう側の風景を望むことができるが、木々が偏りなく分布しているのなら、ある程度大きな森では周囲は様々な距離にある木々の幹で覆いつくされ、森の向こうを見通すことができない。
パラドックスの解決

近代科学の黎明期以降、宇宙が無限の大きさをもつのだと想定されるとともに、このパラドックスは17世紀ヨハネス・ケプラー18世紀エドモンド・ハレージャン=フィリップ・ロイス・ド・シェゾー19世紀H・ヴィルヘルム・オルバースなどによって気づかれてきたものであった。特にシェゾーは1744年に現在提示されるものと同じパラドックスの明確な定量的記述を行っている。一方、このパラドックスに対しこれらの人々によって過去に提案されてきた解答は、時代ごとの宇宙像とその変遷を反映する多様なものとなった。大別するならそれらの解答は、宇宙が限られていることによって実際には星は空を覆うほどまでは存在していないとするものと、星は確かに空を覆うように存在するのだが何らかの事情で見えないとするものとに分けられる。ケプラーは前者の解答を、その後のハレー、シェゾー、オルバース、そして20世紀半ばのハーマン・ボンディなどは、論拠は様々であるものの後者の解答を提示した。

しかし現在では、前者の解答が正しいこと、すなわち単に星は空を覆いつくすほどには存在していないのだということがわかっている。森が木の幹で見通せなくなるのに森にある程度の大きさが必要なように、夜空が星で覆いつくされるためには、無限とはいかずとも宇宙がある距離を越えて空間的に非常に広くなければならない。また光速が有限であるため、そのような広大な空間を光が伝わってくるような非常に長い時間の昔から星が輝いていたとすることも必要となる。著名な物理学者ケルヴィン(ウィリアム・トムソン)は1901年の論文において、恒星の寿命がこれに必要な時間には遠く及ばないことに注目し、もともと暗闇には十分に星が存在していないためにパラドックスの前提が成立していないという解答を定量的に示した。当時の恒星の年齢の見積もりは現在とは異なっていたものの、恒星が一生の間に放射しうる光の量に注目したその議論は、現在においてもパラドックスの解決において本質的である。しかしケルヴィンの古典的宇宙像における解決は、その後の一般相対性理論の登場と膨張宇宙論という20世紀の宇宙論の激変の影で長らく注目されないままとなった[5]

現在の知見にもとづく見積もりによると、星が今のまま輝き続けたとしても、現在の宇宙の年齢より10兆倍の時間を経なければ、宇宙は星の放射で満たされることがない。しかし宇宙に現実に存在する物質の量では恒星をそこまで長く輝き続けさせることはできず、このことは、本質的に宇宙に物質が足りていないことを示している。パラドックスが成立するためには現実の宇宙のおよそ10兆倍の密度で星が存在していなければならない[6]

実際の夜空の暗闇の正体については、1965年に宇宙背景放射が発見され、宇宙論の進展とともに、さらに近代的な解釈が可能となった。それにもとづけば現在我々が見ている宇宙の暗闇とは、何もない無限の空隙でも、見えない星があるのでもなく、137億年前のビッグバン後しばらくたってからの宇宙の姿である。ビッグバン後38万年までは、宇宙は原子核電子がばらばらに存在して光は自由に動けなかったが、宇宙の拡大とともに3000Kにまで冷えたとき、原子が生成され初めて光が自由に動けるようになった。これは宇宙の晴れ上がりと呼ばれている。この瞬間からもたらされた熱放射は宇宙膨張による赤方偏移によって冷やされ、およそ1000倍の波長、目で捉えられないマイクロ波の電波を主体とする2.7Kの温度にまで長く引き伸ばされている。我々が現在見ている夜空の暗い背景は、実はこうした原初の宇宙の輝きの放射で覆われていることになる[7]
普及と誤解

このパラドックスそのものは、定常宇宙論を唱えたボンディの1952年の著作『宇宙論』(原題:Cosmology)によって一般に広く知られるものとなった[8][注 1]。ボンディはこのパラドックスを19世紀の天文学者オルバースによるものとし、それにその名を冠した。オルバースも先行した議論に言及しなかったため、現在でもパラドックスがオルバースによるとされることがある。オルバースのパラドックスが提示する問題そのものは夜空の暗さという身近な問題である上に、容易に理解できるものであり、またそれついて考えることは宇宙の構造について理解を深めることにもなるため、宇宙論について解説した一般向けの書籍などでこのパラドックスはよく取り上げられる。しかし、専門家の書いた書籍においても、その起源に限らずこのパラドックスの内容やその解決は、しばしば誤解や混乱を伴って受け取られている[注 2]

例えば、パラドックスの帰結が「夜空が無限の明るさで輝く」とされることもあるが、これは星の大きさによる重なりを無視してその明るさの総和のみを考えていることにあたり、シェゾーやオルバースが提示した問題そのものとは微妙に異なる。シェゾーやオルバースは、飽くまで幾何光学的に光が直進するとして星の大きさを考え、結果として夜空が無限ではなく、太陽面と同等の有限の明るさになるとした議論を展開している。よって彼らの議論では、前提となる宇宙の大きさは量的な問題で、必ずしもパラドックスに無限の宇宙が必要とされるわけでも、その解決が有限の宇宙ならば常に十分なわけでもない。

さらに、ボンディがその著作で展開した解釈が広まったために、パラドックスの解決が、赤方偏移のために遠方の星が見えなくなっているためであり、パラドックスが成立しないことが宇宙が膨張していることの証拠のひとつであるとしてしばしば取り上げられる[11][12]


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