オルドス
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この項目では、歴史的部族名について説明しています。現在の地域名については「オルドス地方」を、行政区分については「オルドス市」をご覧ください。

オルドス(モンゴル語: Ордос、ラテン文字表記:Ordos、.mw-parser-output .font-mong{font-family:"Menk Hawang Tig","Menk Qagan Tig","Menk Garqag Tig","Menk Har_a Tig","Menk Scnin Tig","Oyun Gurban Ulus Tig","Oyun Qagan Tig","Oyun Garqag Tig","Oyun Har_a Tig","Oyun Scnin Tig","Oyun Agula Tig","Mongolian BT","Mongolian Baiti","Mongolian Universal White","Noto Sans Mongolian","Mongol Usug","Mongolian White","MongolianScript","Code2000","Menksoft Qagan"}.mw-parser-output .font-mong-mnc,.mw-parser-output .font-mong:lang(mnc-Mong),.mw-parser-output .font-mong:lang(dta-Mong),.mw-parser-output .font-mong:lang(sjo-Mong){font-family:"Abkai Xanyan","Abkai Xanyan LA","Abkai Xanyan VT","Abkai Xanyan XX","Abkai Xanyan SC","Abkai Buleku","Daicing White","Mongolian BT","Mongolian Baiti","Mongolian Universal White","Noto Sans Mongolian"}?????、中国語:鄂爾多斯 E?rdu?s?)は、近世以降にあらわれるモンゴル遊牧民の部族集団。この集団が代以降、中国黄河屈曲部(「河套」)に居住したことからこの地域は現在オルドス高原と呼ばれ、内モンゴル自治区オルドス市が置かれている。 15世紀の東アジア諸国と北方諸民族。目次

1 歴史

2 構成部族

2.1 右翼

2.2 左翼


3 歴代首長

4 脚注

5 参考資料

6 関連項目

歴史

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出典検索?: "オルドス" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2013年7月)

オルドスは、15世紀頃、モンゴル高原で活動するモンゴル部族連合のトゥメン(部族(オトク)が集まって形成された部族の集合体)のひとつとして歴史に登場する。

オルドスの名は、モンゴル語テュルク語で「宮廷」を意味する「オルド」を語源としており、この集団はモンゴル帝国の始祖チンギス・ハーンの生前の宮廷をチンギスの霊廟として奉祀していた。集団の長はジノンと称したが、これはの時代にモンゴル高原に駐留し、チンギス・ハーンの霊廟を守護した王族の称号「晋王」がモンゴル語に取り入れられたものである。したがって、オルドス部は元の晋王領を起源とする集団であると考えられている[1]

元の時代、チンギス・ハーンの霊廟はモンゴル高原北東部のケルレン川流域にあり、オルドス部の先祖たちもこの地域で遊牧していたが、15世紀頃、オルドス部は霊廟とともに南下して、漢民族が古来「河套」と呼んできた黄河の屈曲部に入り、のちにオルドス高原と呼ばれる高原に移住した。

15世紀の末頃、オルドス部を含むモンゴルの西部はオイラトの影響下にあり、東部のチャハル部を支配するモンゴルのハーンの権威は及ばなかった。16世紀初頭頃、モンゴルのダヤン・ハーンはオルドスに次男のウルス・ボラトを婿入りさせ、ジノンとして送り込んだが、ウルス・ボラトはヨンシエブのイブラヒム・タイシによって殺害された。

イブラヒムが1510年にダヤン・ハーンによって滅ぼされ、モンゴルが再統一されると、オルドスは同じく西部のトゥメンであるトメトに婿入りしていた三男のバルス・ボラトの支配下に入った。オルドスのバルス・ボラトは父ダヤン・ハーンの死後、チャハル部と大ハーンの位を継承した甥のボディ・アラクを差し置いて一時はハーンを自称するほどの勢力を誇ったが、その死後長男のグンビリクがオルドス、次男のアルタンがトメトを継ぎ、オルドスとトメトは再分割された。1542年、オルドスのグンビリクが死ぬと、トメトのアルタンの勢力がオルドスを凌ぐようになり、アルタンはチャハルの大ハーンからハーンの称号を許されるに至った。オルドスのジノン家はこれ以降もっぱらトメトのハーン家と行動をともにし、オイラトと戦って青海を占領し、ジュンガリアチベットまで侵攻するなど、西方に勢力を拡張した[2]

1572年にはトメトと同じく明に入貢した。その後、1628年にチャハルのリンダン・ハーンがトメト・ハーン家を滅ぼすとチャハルに服属し、1635年にチャハル討伐のためオルドス地方に進軍してきた後金(のちの)に降った[3]

清朝の統治下では盟旗制のもと、オルドスには7つのが置かれ、バルス・ボラトの後裔である7家が旗長を世襲した。また、オルドスの7旗のみで1つの(伊克昭(イフ・ジョー)盟)が置かれた。

イフ・ジョー盟は2002年に盟から地級市に変更され、オルドス市となって現在に至っている。
構成部族

16世紀末頃に編纂されたチャガン・テウケでは、オルドスは「十二オトク」より成り立っていたことが記されている[4]が、「十二オトク」を具体的に記した史書は存在しない。しかし、現在では様々なモンゴル語史料の相互比較によって以下のような構成であったと推測されている[5]
右翼

ケグートとシバグチン(Kegud/Sibaγu?in)

ウラトとタングート(Urad/Tangγud)

ダラトとハンリン(Dalad/Qanglin)

メルキトとバハナス(Merkid/Baqanas)

ベスートとウグシン(Besud/Ugusin)

バタギンとハリグチン(Batagin/Qaliγu?in)

左翼

ハウチン(Qau?in(Qaγu?in))

ケリイェス(Keriyes(Kirgis))

チャハト(?aqad)

ミンガン(Mingγad(Mingγan))

ホニチン(Qoni?in)

フヤグチン(Quyaγu?in(Qoyar Kuriyen))

この他にもチンギス・ハーン廟を管理する「四ホリヤ(Dorben qoriya)」、元々はヨンシエブのイブラヒム・タイシの配下にあったと見られる「四オトク・ウイグルチン(Dorben otoγ Uyiγur?in)」・「三オトク・アマハイ(γurban otoγ Amaqai)」といった集団が所属していた。清朝の支配下に入った後は当初は6旗、後に1旗増やされて7旗(Doloγan qosiγu)に再編成された。
歴代首長
晋王(ジノン、済農)

バヤン・モンケ・ボルフ晋王(1468年 - 1470年)…アクバルジの孫、ダヤン・ハーンの父

ウルス・ボラト晋王(1508年)…ダヤン・ハーンの次男

バルス・ボラト・サイン・アラク晋王1512年 - 1531年)…ダヤン・ハーンの三男

グン・ビリク・メルゲン晋王1532年 - 1542年)…バルス・ボラトの子

ノヤンダラ晋王1543年 - 1574年)…グン・ビリク・メルゲンの子

ボショクト晋王ハーン1576年 - 1624年)…ノヤンダラの子ブヤン・バートル・ホンタイジの子

セレン・エルデニ晋王ハーン1626年)…ボショクトの長男

リンチェン・セチェン晋王(1627年 - 1649年)…ボショクトの次男

[6]
ジャサク・ドロイ・ギュンワン(扎薩克多羅郡王)

エリンチェン(額?臣、リンチェン・セチェン晋王)(1649年 - 1656年)

バトゥ(巴図)(1656年 - 1657年)…エリンチェンの従子

グル(固?)(1657年 - 1679年、和碩親王:1679年 - 1692年)…バトゥの兄

ドンロブ(棟?布)(1692年 - 1718年)…グルの次男

サクバ(薩克巴)(1718年 - 1720年)…ドンロブの長男

ラシバンジュル(喇什班珠爾)(1720年 - 1728年)…ドンロブの四男

ジャムヤン(扎木揚)(1728年 - 1733年、貝勒:1733年 - 1736年、復位:1736年 - 1758年)…サクバの長男

チェリン・ドルジ(車凌多爾済)(1758年 - 1780年)…ジャムヤンの長男

ダルマザンディ(達爾瑪?第)(1781年 - 1785年)…チェリン・ドルジの長男

シェンダンババイ(什當巴拜)(1786年 - 1812年)…チェリン・ドルジの次男

ババオ・ドルジ(巴宝多爾済)(1812年 - 1831年、郡王:1831年 - 1838年)…シェンダンババイの子

トゥメンジルガル(図們済爾?勒)(扎薩克一等台吉:1831年 - 1835年、郡王:1835年 - 1837年)…ババオ・ドルジの子


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