オリンピック宣誓
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オリンピック宣誓(オリンピックせんせい)は、近代オリンピック大会において、すべての関係者が誓う宣誓である。

2018年平昌オリンピックからは選手・審判・コーチが一つの宣誓として統一された[1]

オリンピック大会の開会式で行われる。宣誓者は、開催国の参加選手・審判・コーチから選ばれ、五輪旗の一端を握りながら宣誓するのが慣例となっている。

2020年2021年に延期されて開催)の東京大会から、宣誓者(特に選手)は男女平等の観点から男女で選ばれる形となった。
宣誓文
統一後
2020年

始めに選手・審判・コーチが私たちは全ての選手の名において(選手宣誓者)、私たちは全ての審判員の名において(審判宣誓者)、私たちは全てのコーチおよび役員の名において(コーチ宣誓者)。

と宣誓した後、選手代表が五輪旗の一端を握りながら宣誓文を読み上げる。調和と平等、フェアプレーの精神に則り、競技規則を尊重し、これを守り、ともに連帯して、スポーツがドーピング、不正行為や、あらゆる差別のないものとなることを目指します。私たちはチームの名誉のために、オリンピズムの基本原則に則り、スポーツを通じて世界をより良い場所にするために、このオリンピック(冬季)競技大会に参加することを誓います。
2018年

始めに選手・審判・コーチが選手代表(選手宣誓者)。審判代表(審判宣誓者)。コーチ代表(コーチ宣誓者)。

と宣誓した後、選手代表が五輪旗の一端を握りながら宣誓文を読み上げる。私たちは、すべての名において、オリンピック憲章(the fundamental principles of Olympism)に則り、公平なルールを尊重し、スポーツマンシップとフェアプレーの精神を増進させることで、スポーツの栄光と、チームの名誉のため、決してドーピングをしないよう、オリンピック(冬季)競技大会に参加することを誓います[1]
統一前
選手宣誓
私たちは、すべての選手の名において、オリンピック憲章に則り、スポーツの栄光と、チームの名誉のために、決してドーピングをしないよう、オリンピック(冬季)競技大会に参加することを誓います。
審判宣誓
私たちは、すべての審判・役員の名において、オリンピック憲章に則り、公平なルールを尊重し、オリンピック(冬季)競技大会に審判することを誓います。
コーチ宣誓
私たちは、すべてのコーチ・選手の随行者の名において、オリンピック憲章に則り、スポーツマンシップとフェアプレーの精神を増進させることで、オリンピック(冬季)競技大会に参加することを誓います。
歴史

選手宣誓は1920年アントワープ大会から実施された。審判宣誓は1972年の札幌大会から実施されている。そして2012年ロンドン大会からコーチ宣誓が加わった。なお、2000年のシドニー大会から「ドーピング」、2020年の東京大会から「調和と平等」、「連帯」、「あらゆる差別のないもの」の文言が初めてが使われた。
歴代宣誓者

大会名選手審判コーチ
アントワープオリンピック (1920年)ビクトル・ボワン--
シャモニーオリンピック (1924年)カミーユ・マンドリヨン--
パリオリンピック (1924年)ジョルジュ・アンドレ--
サンモリッツオリンピック (1928年)ハンス・アイデンベンツ--
アムステルダムオリンピック (1928年)ハリー・デニス--
レークプラシッドオリンピック (1932年)ジャック・シェイ--
ロサンゼルスオリンピック (1932年)ジョージ・カルナン--
ガルミッシュ=パルテンキルヒェンオリンピック (1936年)ウィルヘルム・ボグナー--
ベルリンオリンピック (1936年)ルドルフ・イスマイヤー--
サンモリッツオリンピック (1948年)リカルト・トリアーニ--
ロンドンオリンピック (1948年)ドナルド・フィンレー--
オスロオリンピック (1952年)トールビョルン・ファルカンゲル--
ヘルシンキオリンピック (1952年)ヘイキ・サボライネン--
コルティナダンペッツォオリンピック (1956年)ジュリアナ・ケナル・ミヌッツォ--
メルボルンオリンピック (1956年)ジョン・ランディ
Henri Saint Cyr--
スコーバレーオリンピック (1960年)キャロル・ヘイス・ジェンキンス--
ローマオリンピック (1960年)アドルフォ・コンソリーニ--
インスブルックオリンピック (1964年)パウル・アステ--
東京オリンピック (1964年)小野喬--
グルノーブルオリンピック (1968年)レオ・ラクロア--
メキシコシティーオリンピック (1968年)パブロ・ガリド--
札幌オリンピック (1972年)鈴木惠一荒木ふみお-
ミュンヘンオリンピック (1972年)ハイジ・シューラーヘインズ・ポラー-
インスブルックオリンピック (1976年)ウェルナー・デル・カルトヴィリー・ケスティンガー-
モントリオールオリンピック (1976年)ピエール・サン・ジュアンモーリス・フォジェ-
レークプラシッドオリンピック (1980年)エリック・ハイデンテリー・マクダーモット-
モスクワオリンピック (1980年)ニコライ・アンドリアノフアレクサンドル・メドベド-
サラエボオリンピック (1984年)ボヤン・クリザイドラガン・ペロヴィッチ-
ロサンゼルスオリンピック (1984年)エドウィン・モーゼスシャーロン・ウェーバー-
カルガリーオリンピック (1988年)ピエール・ハーベイSuzanna Morrow-Francis-
ソウルオリンピック (1988年)許載李学来-
アルベールビルオリンピック (1992年)スルヤ・ボナリーピエール・ボルナ-
バルセロナオリンピック (1992年)ルイ・ドレステオーゲニ・アセンシオ-
リレハンメルオリンピック (1994年)ベーガル・ウルバンKari Karing-
アトランタオリンピック (1996年)テレサ・エドワーズホビー・ビングスレー-


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