オリンピック・マルセイユ
原語表記Olympique de Marseille
愛称Les Phoceens (ポカイアズ)
Les Olympiens (オリンピアンズ)
クラブカラー 青
創設年1899年
所属リーグリーグ・アン
所属ディビジョン1部(2023-24)
昨季リーグ順位3位(2022-23)
ホームタウンマルセイユ
ホームスタジアム
スタッド・ヴェロドローム
収容人数67,394
代表者 ジャック=アンリ・エイロー
ホームカラーアウェイカラーサードカラー
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ
オリンピック・マルセイユ(仏: Olympique de Marseille、フランス語発音: [?l??pik d? ma?s?j], 現地発音: [?l???pik? d? maχ?s?j?]; オック語: Olimpic de Marselha, 発音 [ulim?pi de ma??sej?])は、フランス・マルセイユに本拠地を置くプロサッカークラブ。OM(IPA: [o.?m], 現地発音: [o??m?])または単にマルセイユ(Marseille)としても知られる。 フランスプロフットボールリーグ (LFP) のトップディヴィジョン・リーグ・アンに所属している。愛称はロエム (L'OM)、クラブのスローガンは "Droit Au But(ゴールへ一直線)" であり、エンブレムやユニフォームにその文字が窺える。 1899年に設立。リーグ・アンにおいてサンテティエンヌの10回に次ぐ9回の優勝経験を有する他、リーグ・アンのクラブの中で唯一UEFAチャンピオンズリーグの優勝経験がある[1]。ル・クラスィク(またはフランスダービー)と呼ばれるパリ・サンジェルマンとの一戦はフランス中の注目を集めるとされている。またオリンピック・リヨンとの対戦はショック・ドゥ・オランピック(オリンピック・ダービー)と呼ばれる。 フランスのクラブとしてはパリ・サンジェルマンFCと共に欧州でも最も人気のあるサッカークラブの一つである(2006年の調査)[2]。 2013年2月、『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2011-12シーズンのクラブ収入は1億4350万ユーロ(約161億円)であり、欧州第16位である。当時はフランスで最も収入の高いクラブであったが、2010年代は慢性的な財政難を抱えるようになり、2020年のランキングでは宿敵パリ・サンジェルマンFC、オリンピック・リヨンに抜かれトップ20圏外となっている[3][4]。 オランピク・ドゥ・マルセイユはフランスのスポーツ指導者ルネ・デュフォール・ドゥ・モンミライユ
概要
歴史ルネ・デュフォール・ドゥ・モンミライユ
当初は、ラグビーユニオンがクラブの最も重要なチームスポーツであり、 「Droit Au But」(ゴールへ一直線)という標語はラグビーから来ている。1898年からフランススポーツ競技連合(英語版)(USFSA)に加盟し、イングランド人とドイツ人のおかげで1902年にようやくフットボールがプレーされるようになった。1904年、オランピク・ドゥ・マルセイユはマルセイユと近郊のチームが参加する初のChampionnat du Littoralで優勝し、第11回のフランス全国選手権で最終ラウンドに参加した。当時、「football」という単語はラグビーを意味しており、人々はサッカーを「Association」と呼んでいた。1911年のチーム
1920年代、オランピク・ドゥ・マルセイユはフランスで重要なチームとなり、1924年、1926年、1927年にクープ・ドゥ・フランスで優勝した。1929年にはClub Francaisを破り、フランス全国選手権で優勝した。
黄金期.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}UEFAチャンピオンズリーグ 1992-93決勝のスターティングメンバー
1986年に会長に就任したベルナール・タピの豊富な財力により欧州王座を目標に、1980年代後半から1990年代初頭にかけてアラン・ジレス、カールハインツ・フェルスター、ジャン=ピエール・パパン、クリス・ワドル、エンソ・フランチェスコリらを獲得、またディエゴ・マラドーナをも獲得すべく触手したが、獲得は出来なかった[5]。リーグ4連覇、更に1990-91シーズンにUEFAチャンピオンズカップ決勝まで進出し[6]、1991-92シーズンを最後にパパン、ワドルらが退団したが、ルディ・フェラーらを獲得した1992-93シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ決勝でACミランをバジール・ボリのゴールで1-0と破り[7]、同大会ではフランスのクラブとしては初の優勝を飾った。
しかし、リーグでの八百長発覚により1992-93シーズンのリーグ・アン優勝を剥奪され、同年のチャンピオンズリーグ優勝についても、タイトル自体は剥奪されなかったものの、チャンピオンとして活動する権利を奪われ、トヨタカップへの出場権が剥奪され[8]、同時にタピの脱税などスキャンダルが相次ぎ、アレン・ボクシッチ、マルセル・デサイー、フランク・ソゼー、パウロ・フットレらがシーズン途中に移籍、シーズン終了後チームは八百長のペナルティーにより2部降格となった。1994-95シーズン、ディディエ・デシャン、ファビアン・バルテズら一部の主力選手は残留して優勝するも、ペナルティは続いたため昇格が認められず、1995-96シーズンに2位という結果で1部復帰を果たした。