オリュンピオドロス
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オリュンピオドロスないしオリンピオドロス(ギリシア語: Ολυμπι?δωρο?[注 1]: Olympiodorus、: Olympiodoros / Olympiodorus) は、ギリシア語の人名の一つ。以下の人物をさす場合がある。
人物

オリュンピオドロス (軍人)
(英語版)[2][3]アテナイの軍人で、紀元前479年プラタイアの戦いでのアテナイ軍の司令官を務めた。

アテナイのオリュンピオドロス(ドイツ語版)[4][5]、アテナイの執政官(英語版)で、紀元前294?292年に務めた[6]

オリュンピオドロス (セレウコス朝)、紀元前178年頃にセレウコス4世によってコイレ・シリアフェニキアを委任された高位の神官(指導者)[7]

オリュンピオドロス (錬金術師)(ギリシア語版、フランス語版)[8]4世紀末ないし6世紀中頃のアレクサンドリア錬金術師[9][注 2]

テーバイのオリュンピオドロス(英語版)[11]テーバイ出身の5世紀のギリシア人の歴史家で、412年フン族への使節に参加した[12]

大オリュンピオドロス(英語版)[13]5世紀のアレクサンドリアの逍遙学派哲学者で、プロクロスの師[6]

オリュンピオドロス (プラトン学派哲学者)(カタルーニャ語版)[14][15]、ペルシオンのイシドーロス(英語版)と同時代のプラトン学派の哲学者。

小オリュンピオドロス(495年頃 - 570年)、6世紀新プラトン主義哲学者。アレクサンドリア学派(英語版)の最後の非キリスト教徒の長で、占星術師アリストテレスの『気象論』の注釈を行った[16]

オリュンピオドロス (ディアコノス)(フランス語版)[17][18]: Ολυμπι?δωρο? δι?κονο?)、6世紀のアレクサンドリアのディアコノス聖書注釈者

脚注
注釈^ 1982年以前の歴史的アクセント表記法(ポリトニック表記)[1]では、"?λυμπι?δωρο?"となる。Greek diacriticsも参照。
^ 小オリュンピオドロスと同一人物の可能性について議論されている[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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