オリエンタリズム_(サイード)
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、エドワード・サイードの著作について説明しています。政治学的思想については「オリエンタリズム」をご覧ください。

オリエンタリズム
Orientalism
著者エドワード・サイード
訳者今沢紀子
発行日1978年 1986年
発行元Vintage Books
ジャンルノンフィクションポストコロニアル理論
アメリカ合衆国
言語英語
形態ペーパーバック
コードISBN 978-0394-74067-6 .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}OCLC 4831769 DDC 950/.07/2
ISBN 978-4-582-74402-6

[ ウィキデータ項目を編集 ]

テンプレートを表示

『オリエンタリズム』(: Orientalism)は、1978年エドワード・サイードによって発表された書籍である。西洋における東洋趣味「オリエンタリズム」を思考様式として再定義し「ポストコロニアル理論」を確立した。

主な内容は、著者がスタンフォード大学の研究員だった1975年-76年に執筆された。従来は美術における東洋趣味などを指す語だった「オリエンタリズム」を、西洋の東洋に対する思考様式として定義し、人種主義的帝国主義的であるとして批判的に検討した。その検討を通じて、人間は異文化をいかにして表象するのか、また異文化とは何なのかという問題提起も行なった。そのための素材として、学術文献だけでなく文芸作品も含めて論じている。

本書で扱う「オリエント」の範囲は主に中東であり、18世紀以降のフランスイギリスアメリカ合衆国のオリエンタリズムが分析されている。サイードは、オリエンタリズムを研究することになった動機について、パレスチナエジプトで育った東洋人(オリエンタル)としての意識をあげている。

サイードは『オリエンタリズム』や『文化と帝国主義』を念頭に、「自分で書いた本のなかで覆そうと闘ってきた相手は、「東洋」(イースト)とか「西洋」(ウエスト)といった虚構(フィクション)であり、またさらに、人種差別主義が捏造したところの従属人種、東洋人、アーリア人、ニグロといった本質主義的分類法であった。と同時に、いっぽうで、過去において植民地主義の暴虐を幾度もかいくぐってきた国々では、原初にあった無垢の状態が西欧人によっておかされたという被害者意識が強いが、わたしは、こうした考えかたに与(くみ)することなく、つぎの点をくりかえし強調してきた。東洋とか西洋といった神話的抽象概念は端的にいって虚偽であるが、同じことは、かつての植民地国が西欧に向けて発する非難のレトリックのなかで駆使されるむきだしの対立図式についてもいえる。文化は、たがいに混じりあい、その内容も歴史も、たがいに依存しあい、雑種的なものであるため、外科手術的な切り分けをおこなって、<東洋>(オリエント)とか<西洋>(オクシデント)といったおおざっぱで、おおむねイデオロギー的な対立をこしらえることなどできないのである」[1]


内容
オリエンタリズムの定義

サイードは、オリエンタリズムという語に複数の意味を与え、それらは相互依存関係にあるとした。主な意味あいとして、次の3つをあげている。1.学問に関係する意味 2.東洋と西洋とされるものの間に設けられた区分 3.オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋の様式

オリエンタリズムの本質を見極める上で、ミシェル・フーコーが用いた言説(ディスクール)の概念が有効だとしている。学術的な言説が帝国的制度と結びつくことを、サイードはナポレオン・ボナパルトエジプト遠征から現代のアメリカにおける制度化までを例に論じる。
戦略的位置選定によるオリエンタリズム

戦略的位置選定とは、著述家が東洋を取り上げた場合に、著述家自身がテクストの中でいかなる位置を占めているかを記述する手法。オリエンタリズムには空間的、現象的、歴史的な多義性があるが、これらの多義性は、著述家が東洋を外在的なものとして語る点で共通しているとする。
戦略的編成によるオリエンタリズム

戦略的編成とは、テクストが文化の中で参照能力を増してゆく過程と、テクスト本体との関係を分析する手法。西洋におけるオリエントの社会や文化に対する見解には、後進性についての無意識的な確信があると指摘した。さらに、西洋列強のオリエンタリズムに基づいた学問的・実践的な知識が、権力と密接に関連しながら東洋に対する西洋の支配関係をもたらしていると論じた。
各章の内容
第1章 オリエンタリズムの領域

歴史と経験、および哲学的主題と歴史的主題の観点から、オリエンタリズムの範囲を定める。オリエンタリズムが中東とヨーロッパの間に設定されたきっかけとして、ナポレオンのエジプト遠征による『エジプト誌』の誕生をあげ、これがその後の関係に影響を与え続けたとする。そして、ヨーロッパがイスラームに対して自己完結的かつ反経験的で誤解のあるイメージを作り上げた歴史がすでにあったと指摘し、同様の姿勢がオリエンタリズムにもあることを見る。イスラームへの誤解の例として、バルテルミー・デルブロ(英語版)の『東洋全書』や、ダンテの『神曲』におけるムスリムの扱いをあげる。

ここでサイードはアヌワル・アブデル=マレク(英語版)、R・W・サザーン(英語版)、ノーマン・ダニエル(Norman Daniel) の研究を肯定的に評価している。また、オリエンタリストを指して、ヴィーコの『新しい学』にある「学者のうぬぼれ」を引いている。
第2章 オリエンタリズムの構成と再構成

作家、芸術家、学者たちの著作を見ながら、オリエンタリズムの発展を追う。この章では、次のような人物が論じられている。初期の学問的な定義を行なったシルヴェストル・ド・サシエルネスト・ルナン。セム語族を後進的と見なしたフリードリヒ・シュレーゲル。オリエントを旅行する際の基準となる著作を書いたエドワード・レイン(英語版)とシャトーブリアン。帝国主義的な紀行を著したラマルティーヌ。『アラビアン・ナイト』を翻訳したリチャード・バートン。オリエント訪問を個人的・審美的に利用しえた作家であるネルヴァルフローベールなどである。フローベールについては、『ブヴァールとペキュシェ』に見られるように、オリエンタリストを相対化するような視点を持っていたとも論じている。
第3章 今日のオリエンタリズム

1870年代のヨーロッパの植民地拡大期から、1970年代のアメリカ主導によるオリエンタリズムまでを論じる。差別的な学説がオリエンタリズムと結びついて植民地支配を正当化したとして、その例にゴビノーキュヴィエロバート・ノックスらの人種差別思想、ハックスレーらの亜流ダーウィニズム、ランケシュペングラーのイスラーム観などをあげる。また、イギリスとフランスがオリエンタリズムを主導した時代の人物として、次のような名をあげる。植民地における白人の歩む道を書いたキプリング。アラブの反乱に自己イメージを投影したロレンス


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:29 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef