オランダ領ニューギニア
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オランダ領ニューギニア
Nederlands Nieuw-Guinea
植民地


1945年?1962年



国旗国章

標語
Setia, djudjur, Mesra
国歌
Hai Tanahku Papua
オランダ領ニューギニア
首都ジャヤプラ
言語オランダ語, 他のパプアオーストロネシア言語
政治機構植民地
歴史・時代冷戦
 ? 創立1945年12月29日
 ? 解体1962年10月1日
面積
 ? 1960年416,000 km2 (160,618 sq mi)
人口
 ? 1960年年推定735,000人
     密度1.8人/km2  (4.6人/sq mi)
通貨オランダ領ニューギニアギルダー
1907年から1915年までオランダのオランダ領ニューギニアにおける探検路線

オランダ領ニューギニア(オランダ語:Nederlands Nieuw-Guinea、英語:Netherlands New Guinea / Dutch New Guinea)、または蘭領ニューギニア(らんりょうニューギニア)は、ニューギニア島西部を占めていたオランダ植民地である。現在のインドネシアパプア州西パプア州にあたる。
歴史

1855年:ニューギニア島西部はオランダ植民地となった。

1885年オランダ領東インドに併合した。

1942年 - 1944年日本軍がニューギニア島北部を占領した。

1949年:ハーグ円卓会議を行った後、インドネシアはオランダから独立することになった。ニューギニア西部のインドネシアへの統合を主張したが、オランダはこれを拒否し、将来ニューギニア島西部の帰属解決を保証し、支配しつづけていた。

1952年:オランダはニューギニアの先住民であるパプア人の自治権を認め、独立準備を進めたため、インドネシアとの対立が深まっていた。

1956年:インドネシア側はイリアン地方自治省を設置した。

1961年:オランダが蘭領ニューギニアを西パプアとして独立させたことに対して、インドネシアが侵攻。

1962年:アメリカの調停で“ニューヨーク合意”と呼ばれる両国間の停戦合意が成立した。蘭領ニューギニアの統治権は西イリアン国際連合保安隊に移譲された。

1963年:インドネシア統治に移管された。

1969年:インドネシアは住民投票により併合し、西イリアン州を設置した。

[1][2]
脚注^郵便学者・内藤陽介のブログ - 国連デー
^インドネシア地域


更新日時:2018年7月4日(水)03:25
取得日時:2019/02/23 19:05


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