この項目では、西ヨーロッパとカリブの領土から構成される国家について説明しています。
単にオランダと呼ばれる王国内の主たる国については「オランダ」をご覧ください。
ルクセンブルクならびにベルギー独立以前の王国については「ネーデルラント連合王国」をご覧ください。
ナポレオン戦争期のフランス帝国の衛星国については「ホラント王国」をご覧ください。
オランダ王国
Koninkrijk der Nederlanden (オランダ語)
Keninkryk fan de Nederlannen (西フリジア語)
Reino Hulandes (パピアメント語)
国旗 国章
標語: Je maintiendrai (仏語)[1]
(我、守り続けん)
国歌: ヴィルヘルムス
首都
かつ最大都市アムステルダム2
公用語オランダ語1(国);
西フリジア語、パピアメント語、英語(地域)
統治体制議会制民主主義および立憲君主制
? 国王 ウィレム=アレクサンダー
? 王国閣僚会議議長[2] マルク・ルッテ
? アルバの全権公使
オランダ王国(オランダおうこく、オランダ語: Koninkrijk der Nederlanden[ヘルプ/ファイル]〔コーニンクレイク・デル・ネーデルランデン〕、西フリジア語: Keninkryk fan de Nederlannen、パピアメント語: Reino Hulandes)は、西ヨーロッパおよびカリブに領土を有する主権国家・立憲君主国である。王国の4つの地域であるアルバ、オランダ、キュラソー、シント・マールテンはそれぞれ国(蘭: landen)と呼ばれ、王国内のパートナーとして互いに対等な立場で王国を構成している[5]。オランダは、カリブの3つの特別自治体を除いてヨーロッパに位置しており本土部分のみを指す場合は「ヨーロッパ・オランダ」と呼ばれる。
歴史詳細は「オランダの歴史」および「オランダ語連合」を参照
オランダ王国は1813年のナポレオン帝国の崩壊にその起源がある。この年、オランダは再び自由を得て、オラニエおよびナッサウ公ウィレムを君主としたネーデルラント公国が宣言された。南ネーデルラント(おおよそ現在のベルギーおよびルクセンブルク)との再統一は1814年に決定された。1815年3月、君主の称号がネーデルラント国王となり、王国は現在に至る。オランダ国王は、同時にドイツ連邦内の大公国でもあったネーデルラント王国の一地方の君主であるルクセンブルク大公でもあった。
1830年のベルギー独立革命で、ベルギーは王国から離脱し、オランダは1839年にロンドン条約で独立を承認した。