オユンナ
出生名ダムディンスーレン・オユントゥルフール
(ДАМДИНСYРЭН ОЮУНТYЛХYYР)
生誕 (1975-11-10) 1975年11月10日(48歳)
出身地 モンゴル・ウランバートル
学歴モンゴル国立音楽専門学校ピアノ科卒業(1992年)
同朋高等学校音楽科編入(1992年)
同朋高等学校音楽科卒業(1994年)
名古屋音楽大学ピアノ科卒業(1998年)
名古屋大学大学院環境学研究科卒業(2005年)
ジャンルポップス、J-POP
職業シンガーソングライター
活動期間1990年-
レーベルポニーキャニオン(1990年-2000年)
GAUSS(2000年-2001年)
イースト・ウイング(プライベートレーベル)(2001-)
事務所イースト・ウイング[1]
公式サイト ⇒http://eastwing.on.coocan.jp/
オユンナ(モンゴル語: ОЮУНАА、英語: OYUNAA、1975年11月10日 - )は、モンゴル国の首都ウランバートル出身の女性シンガーソングライター。本名はダムディンスーレン・オユントゥルフール(ДАМДИНСYРЭН ОЮУНТYЛХYYР)。名前の「オユン」はモンゴル語で「知恵」、「トゥルフール」は「カギ」を意味する。愛称は「草原の歌姫」[2]。 2001年にウランバートル市役所に勤める同い年のモンゴル人男性と結婚、2男1女をもうける。ウランバートル在住。 音楽活動以外にも、母国モンゴルの子どもたちを支援する「オユンナ基金」を設立し、社会福祉活動にも尽力している。 モンゴル人力士で元横綱の朝青龍明徳とは親友であり、朝青龍の現役中には大相撲七月場所にゲスト出演することがあった。
人物
主な来歴
1989年8月 日本で開催された「第7回世界子ども音楽祭」でグランプリ受賞。
1990年5月 1stシングル「天の子守歌」でポニーキャニオンよりデビュー。
1990年11月 2ndシングル「Yes,Happy」発売。カネボウ化粧品90年冬のイメージソングに起用される。1stアルバム「オユンナ ОЮУНАА」同時発売。
1990年12月 紅組史上最年少(当時[3])でNHK紅白歌合戦に出場。その澄みきった歌声が天使の歌声と評され、日本にモンゴルブームを巻き起こす。
1991年6月 3rdシングル「花」発売。
1991年11月 「アジアミュージックシーンIN香港」にサリーイエン、アンディーラウ、谷村新司等と香港スタジアムで共演。
1992年8月 4thシングル「初恋」(税理士制度50周年イメージソング)発売。
1992年9月 2ndアルバム「オユンナII黄砂」発売。モンゴル国立音楽専門学校より同朋高等学校音楽科へ留学(1994年3月卒業)。
1992年10月 5th シングル「エージンハイル」(モンゴル日本共同制作映画 『チンギス・ハーン』)主題歌発売。
1993年7月 6thシングル「星空はメリーゴーランド」(NHK衛星放送年間イメージソング)「ヒロシマの少女の折鶴」発売。
1994年1月 7thシングル「遠くへ行きたい」(アレンジ:姫神)(よみうりテレビ『遠くへ行きたい』主題歌 )発売。
1994年5月 ひろしまフラワーフェスティバルのフラワー歌手に選ばれる。
1995年4月 日本青年館で開催された「?とどけ心の歌声神戸の空へ!アジアの友へ? 阪神大震災チャリティーコンサート」にアグネス・チャン、キム・ヨンジャ、白竜等と出演。南こうせつの主催する日比谷野外音楽堂「GREEN PARADISE」に参加。
1995年10月 8thシングル「共に生きて」(NHK『アジア発見』テーマソング)発売。名古屋市で開催された「世界公園フェスティバル」にジョン・デンバー、シーナ・イーストン等と共演。
1996年8月 モンゴルの首都ウランバートルで孤児支援のためのチャリティーコンサート開催。
1996年12月 「オユンナ基金」設立
1998年2月 4thアルバム「生命あるものはみな-Human Being-」発売
1998年3月 名古屋音楽大学ピアノ科卒業
1999年8月 広島市で開催された「世界音楽祭オーガスト・イン・ヒロシマ'99 グランドコンサート“TOGETHER”」にスティーヴィー・ワンダー、谷村新司、西城秀樹、ディック・リー、レスリー・チャン、イ・ウンミ等と参加。
2000年2月 ポニーキャニオンよりガウスエンタテイメントへ移籍。9thシングル「だけど I LOVE YOU」(作詞 沢田知可子)(NHKみんなのうた)発売。
2000年11月 岐阜市・大阪府大東市で開催された平和フォーラム「21世紀の創造」にロニー・ブローマン(国境なき医師団・ノーベル平和賞受賞者)、明石康(元国連事務次官)、小山内美江子(作家)等と参加。