オモロー山下
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インタビューマン山下
INTERVIEWMAN YAMASHITA
本名山下 栄緑(やました しげのり)
ニックネームヤッシー
別名義山下しげのり、オモロー山下(旧芸名)
生年月日 (1968-10-29) 1968年10月29日(53歳)
出身地 日本香川県高松市
血液型O型
身長170cm
言語日本語
方言関西弁
最終学歴摂南大学法学部
出身NSC大阪校10期
コンビ名ジャリズム(1991年 - 1998年、2004年 - 2011年)
ガリッパナ(2001年 - 2003年)
相方渡辺鐘(ジャリズム)
友野英俊(ガリッパナ)
芸風漫才(ツッコミ)(ジャリズム時代)など
立ち位置左(ジャリズム時代)
事務所吉本興業(1991年 - 2017年)
活動時期1992年 -
同期ココリコ
シェイクダウン
メッセンジャー など
過去の代表番組5時の魔法使い
他の活動格闘家、うどん屋
配偶者未婚
公式サイトインタビューマン山下の「山下本気うどんブログ」
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インタビューマン山下(インタビューマンやました、1968年10月29日 - )は日本の元お笑いタレント、フリー芸能記者、実業家。本名:山下 栄緑(やました しげのり)。旧芸名:山下栄緑→山下しげのり→オモロー山下。お笑いコンビジャリズムのツッコミとして活動。当時の相方は、世界のナベアツ(現:桂三度)としても知られる渡辺鐘。

香川県高松市出身。お笑い芸人当時は吉本興業東京本社所属。吉本総合芸能学院(NSC)大阪校10期生。目次

1 略歴

2 人物

2.1 キャラ

2.2 ギャグ

2.3 格闘技


3 主な出演番組

4 脚注

5 関連項目

6 外部リンク

略歴

1981年3月、高松市立太田南小学校を卒業。

1984年3月、高松市立太田中学校を卒業。

1987年3月、
香川県大手前高松高等学校を卒業。

1991年3月、摂南大学法学部を卒業。

1991年4月、NSCに入学。

1991年11月、渡辺鐘(現・桂三度)と「山下・渡辺」を結成。

1992年5月、「山下・渡辺」から「ジャリズム」に改名。

1998年12月、ジャリズム解散。解散後、芸名を「山下栄緑」から「山下しげのり」に改めた上でピン芸人となり、ルミネtheよしもとの新喜劇などで活動する。

2001年、元「桧・友野」の友野英俊と「ガリッパナ」という漫才コンビ結成。2003年解散。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}2003年、芸名を「山下しげのり」から「鼻油千右衛門時定 ?後の?」に一時期だけ改名。日本タレント名鑑で唯一、芸名にサブタイトルの付く人物となった。その後も吉本新喜劇では鼻油名義で舞台に立っている。[要出典]

2004年2月、渡辺鐘と「ジャリズム」再結成。舞台公演のほか、『笑いの金メダル』などの番組に出演。

2004年11月、CBCテレビのバラエティ番組『ノブナガ』内で自身のコーナー「写真マラソン」がスタート。2006年3月19日放送分にてコーナー終了。

2008年7月5日、東京・新宿FACEのグラップリング大会DEEP X 03に参戦。女子プロレスラー闘牛・空に判定で勝利した。

2011年3月2日、相方の渡辺が桂三枝(現・六代目桂文枝)に弟子入りしたことに伴い、ジャリズムが再び解散。芸名をオモロー山下に改名[1]。この時期、ファンタスタープロモーションでのタレントマネージメントを副業としていた。

2012年6月5日東京都目黒にうどん屋「山下本気うどん」を開店。その際、今田耕司と宮迫博之よりそれぞれ500万円の出資を受けている[2]。店名は堺正章が命名した[3]

2017年6月13日、芸人引退を宣言し、同時に吉本興業を退社。「山下本気うどん」の経営は続けながら、『女性自身』の記者となる[4]。同年12月より女性自身専属を離れてフリーランスの記者となり、これを機にインタビューマン山下に改名[5][6]

M-1グランプリ2021にて芸人復帰し、街裏ぴんくとのユニット「山下ぴんく」として3回戦進出[7]

人物

この節には複数の問題があります。改善ノートページでの議論にご協力ください。

出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2015年10月)


雑多な内容が羅列されています。(2011年8月)



キャラ

2丁目劇場時代には「名ツッコミ」「2丁目のプリンス」と呼ばれていたが、渡辺のボケとしてまた芸人としての力量が上がっていくのとは対象的に、山下のツッコミの力量は衰えていき、次第に芸人としても全くウケない「スベリキャラ」「デリカシーゼロ」「金に汚い」といった醜態ぶりが定着している。しましまんずの池山心は、「ツッコむときに息を吸うからワンテンポ遅れる」ことが山下のツッコミの力量が下がった要因だとしている。

2008年当時は竹馬に乗れなかったため、渡辺が企画した紫SHIKIBUのオーディションに1度は落選。しかし、その後猛特訓で乗れるようになり、2ndシングル『イヲピにかえて』の発表会見時に、ようやく新メンバーとして加入することになった。

ジャリズム解散後、宮迫博之の元相方が出資し矢部美幸が代表を務めていた「ファンタスタープロモーション」(現・ヴィズミック)にてアルバイトで山崎真実らのマネージャーを行っていた。その後吉本の上層部にこの事が発覚した際、芸人を続けるか吉本を辞めて同社のマネージャーになるかを選ぶように迫られ一旦芸人廃業を決意するが、元相方のナベアツにジャリズム再結成をもちかけられ思いとどまった。

ギャグ

顔の前で両手を広げる「やましたパッカ?」、その兄弟ギャグで開いた手を閉じる「パカしたやま」、
ビートたけしのギャグであるコマネチよりも低い位置に手を添える「ヒクネチ」、「いないいないバァ」をアレンジした「いないいないパァ?」、「ぶっかぁけぇ」というギャグを持つ。


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