オモチャキッド
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オモチャキッド
ジャンル
特撮コメディ
原作外山雄大
脚本外山雄大 他
監督外山雄大 他
製作
製作総指揮アドベンチャー
制作南日本放送

放送
音声形式ステレオ放送
放送国・地域 日本
オモチャキッド制作スタッフBLOG

オモチャキッド
オープニング『虹のプリズム-オモチャキッドのテーマ』
歌:稲盛高広
放送期間2004年4月7日 - 2005年4月5日
放送時間隔週第1,3,5水曜 10:25 - 10:30
放送分5分
回数28

オモチャキッドDX
オープニング『虹のプリズム-オモチャキッドのテーマ』
歌:稲盛高広
放送期間2005年4月19日 - 2006年3月21日
放送時間隔週第1,3,5火曜 15:50 - 15:55
放送分5分
回数25
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オモチャキッドは、日本の企業・アドベンチャー(現・株式会社ボッケモンプロ)が制作し、鹿児島で活躍するローカルヒーロー。ただし製作者はローカルヒーローではなくインディーズヒーローと語っていた。2004年4月7日からMBC南日本放送で第1期にあたるオモチャキッドが、2005年4月19日からは第2期にあたるオモチャキッドDX(デラックス)がテレビ放送された。キャッチコピーは「オモチャ…それは心に掛かったひとすじの虹!」「遊びは子供の仕事だぜ!」。

本項では、オモチャキッドDXについても併せて解説する。
概要

玩具のリサイクル運動を目的に誕生した企画。ショーの際には『おもちゃ回収所』やオモチャを交換もできる『おもちゃバザー』を設け、リサイクルしたオモチャを児童養護施設などの子供に届ける活動などを行った[1]

2002年に鹿児島に住む5人のメンバーによってオモチャキッドが制作され、2003年5月に地元の草牟田公民館で初めてショーを行ったのを皮切りに[2]、ショーなどの活動を開始。2003年8月24日に鹿児島讀賣テレビで放送された24時間テレビ 「愛は地球を救う」第26回のステージでもショーを行い生放送され、放送前に募金を呼びかけていた様子も放送された。協力者も次第に増え、主題歌もでき、キャラクターが次々に増え、各自治体の大規模な行政イベントにもタイアップされるようになった結果、テレビ未放送のパイロットフィルム制作を経て2004年にはテレビ放送も開始された。2004年4月7日からは隔週水曜日の10時25分から10時30分、2005年3月29日に放送された第1期最終話からは隔週火曜日の15時50分から15時55分に放送されている。2005年4月からは、続編『オモチャキッドDX』として放送された。2004年10月には韓国の全国テレビ放送韓国MBCにおけるゴールデンタイムのバラエティ番組で、番組や現場の密着取材などが約20分に渡り紹介された。

電波が商品なテレビ局にとって、通常、番組にはスポンサーと代理店を付けなければならないのだが、企画立上げ当初からの南日本放送の厚意により、日本で初めてCMスポンサーが無いまま無償で放送枠を提供され完全自主制作の特撮ヒーロー番組として2年に渡り放送された。隔週5分間枠で、放送時間は実質3分間の番組として地上波テレビにおいてレギュラー放送された[3]。スタッフによる自費制作で制作資金がほぼゼロのため、資金やスタッフにおけるスケジュール問題など、紆余曲折しつつ制作され、第1期の地上波放送では基本的に1話を2回、もしくは4回に分け、複数週にわたって放送していた。

企画・製作は、鹿児島のローカルヒーロー薩摩剣士隼人も手がけている鹿児島のイベント会社兼、着ぐるみ制作会社「アドベンチャー」。企画、キャラクターデザイン、スーツやコスチュームの製作、造型、アクション、演出、脚本、音楽、テーマソング、撮影、編集、CGの全てを鹿児島に住む人間が行っている[1]。第1期オモチャキッドの監督は総集編までの第1から第8話を外山雄大が行い、それ以降は、映像集団「ZEST」 、鹿児島のCMなどを多数手がける「長野泰英」、「浜崎博文」に加え、鹿児島で学生だったメンバーにより制作され、メンバーの岩崎裕行が映画「ローカル・ヒーロー/夢に生きた男」からヒントを得て、作品の予告編で「闘え!ぼくらのローカルヒーロー」というキャッチコピーを使用した1984年の特撮映像作品『爆煙仮面カゴシマン』[4]や、1996年に自主制作された映画のウルトラマン『鹿児島の民家に帰ってきたウルトラマン』などを制作した「鹿児島特撮映像研究団体」を含めた5人が持ち回りで各エピソードごとに行い撮影された。第1期が複数の監督による撮影と、企画意図の説明不足、認識不足もあり、一貫性のない内容になった反省を踏まえ、オモチャキッドDXからは制作会議で展開、方向性を突き詰め企画制作チームを1つにして制作された。

全体的にコメディータッチな作風だが戦争の悲惨さを訴えかけるような内容の第1期第13、14話や、物の大切さを描いたDX10話などテーマ性を盛り込んだ話も製作されている。

ショーの会場では主催者側の協力を得られる限り家庭で不要になったオモチャの回収所を設け、集められたオモチャをアドベンチャーの工場へ持ち帰り、再利用可能なものを分別して修理、洗浄。新しく生まれ変わったオモチャは児童養護施設などにおけるクリスマス会会場などで、自分の好きなようにオモチャを手に入れ遊ぶことができない境遇の、次に遊んでくれる子供たちのところにオモチャキッドが直接手渡している。オモチャのリサイクル活動は、玩具店において知り合った仲間で不要になったオモチャのリサイクル回収、オークション、販売を行うグループ『おもちゃマーケット』と一緒に行っている。

制作スタッフブログや番組解説ブログも開設された。公式ホームページも設けられ、ストーリー紹介、キャラクター紹介、イベントの模様を簡易的に写真や映像で紹介する「活動内容」、予告映像、番組CM、番組オープニング映像、DX本編の映像配信、2004年の夏休みスペシャルで放送された「ヨーヨー教室」と「オモチャキッドの活躍」の映像配信、キャラクターソング、キャラクターのアイコン、エキストラ募集のお知らせ、PC用壁紙、携帯用待ち受けコレクション、オモチャキッドたちのなりきりお面データ、ガリタンクやカミパンダーの紙工作データ、原田英樹によるデザイン・シナリオから完成までの制作過程や番組に登場していない幻のキャラクターなど新企画や秘密資料の未公開マル秘ファイルを紹介する「スペシャル」、公式掲示板など、内容も充実していたが、現在公式ホームページは閉鎖されている。

2016年からは、オモチャキッドらが登場する格闘ゲーム「薩摩剣士隼人ボッケモンバトラーズ2」に関連したイベント「サツマ・ウォー」への出演を機に、再び各イベントなどに出演している。
企画の経緯

宮崎に生まれ鹿児島で育ち、幼いころに、昆虫、ネッシー、ツチノコ、ゴジラ、仮面ライダー、ウルトラマンの怪獣にのめり込みつつ、背中にチャックがあることも理解していたため、むしろ制作側に興味を持ち、小学生のころには、放送される番組テロップから監督や脚本家を見て特撮番組を批評したり、幼稚園に入るころから入社したいと志望していた円谷プロダクションに入社を希望する電話をかけたりするほどの情熱を持つ一方、怪獣を皆殺しにする正義のヒーローは嫌いだった監督の外山雄大が、子供のころからずっと疑問に思っていた「怪獣や怪人たちはヒーローたちから、なぜ抹殺されなければならないのか。戦わず理解しあえる方法があるはず」という考えから、自分が造るなら唯一無二の正義よりも、物事を楽しみ仲良く生きることの素晴らしさを伝えたいという想いで、長い構想を経て誕生した[5][6][7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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