オムパレー
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『ヘーラクレースとオムパレー』(部分)、ヨハン・ハインリヒ・ティシュバイン Johann Heinrich Tischbein the Elder 画、1754年

オムパレー(古希: ?μφ?λη, Omphal?)はギリシア神話に登場するリューディアの女王。オンパレーまたはオンファール、長母音を省略してオムパレ、オンパレ、オンファレなどの表記もある。

アポロドーロスによれば、オムパレーはイアルダノス(イアルダネースとも)の娘で、リューディア王トモーロスの妃となり、トモーロスの死後王位を継いだ[1]。神託によって奴隷となったヘーラクレースを、オムパレーが買い取って仕えさせた。以下の神話もアポロドーロスに基づく。目次

1 神話

1.1 後代の物語

1.2 解釈


2 オムパレーの子たち

3 芸術作品の題材

3.1 絵画

3.2 彫刻

3.3 音楽

3.4 文学


4 関連項目

5 脚注

6 参考図書

神話

ヘーラクレースは、ヘーラーに吹き込まれた狂気のためエウリュトスの子イーピトスを殺し、病気に悩まされるようになった。ヘーラクレースはデルポイに赴いて神託を受けようとした[2]が、ピュートー(デルポイの古名)の巫女は神託を与えようとしなかった。憤慨したヘーラクレースは神殿を掠奪し、三脚台を持ち去って自身の神託所を建てようとした。これを阻止しようとしたアポローンとヘーラクレースの争いとなり、ゼウスが二人の間に雷霆を投じて分けさせた。この結果、ヘーラクレースは「奴隷として身を売られ、3年間[3]奉公した後にエウリュトスに殺人の代価を払え」という神託を受けた。ヘルメースがヘーラクレースを売り、これを買ったのがオムパレーである。

オムパレーに仕えている間、ヘーラクレースはエペソスの近くにいた二人のケルコープス[4]を生け捕りにした。また、アウリスで、通りかかる他国人を捕らえてはブドウ畑を耕させていたシュレウスを殺し、娘のクセノドケーとともにブドウの木を焼いた。さらにドリケー島に立ち寄ったとき、イーカロスの死骸が海岸に打ち上げられているのを見てこれを葬り、島をイーカリアーと呼んだ。イーカロスの父ダイダロスは感謝してヘーラクレースの像を建てたが、ヘーラクレースは夜にこの像を見て生きていると思い込んで石を投げつけた。

こうしてヘーラクレースがオムパレーに仕えている間に、アルゴナウタイの探索やカリュドーンの猪狩りが行われた。また、この間テーセウストロイゼーンよりアテーナイに向い、その途上でならず者たちを退治したとされる。
後代の物語 ローマ時代のモザイクに描かれたヘーラクレースとオムパレー。ヘーラクレースの獅子の皮と棍棒をオムパレーが身に付け、ヘーラクレースは女装のうえ糸巻きの道具を持たされている。スペインen:Lliria 、3世紀

ヘーラクレースがオムパレーに仕えたとき、二人は互いの衣装を取り替えたとされる。この衣装取り替えについては、ローマ期以降脚色を受けて物語化され、絵画の題材としても好んで採り上げられるようになった。以下は、B.エヴスリン『ギリシア神話小事典』の記述の概略である。

オムパレーは専横な主人で、ヘーラクレースは女装のうえ、糸紡ぎの仕事をさせられた。オムパレーがヘーラクレースの獅子の皮を身にまとい、棍棒を持ったところ、棍棒の重さによろめいた。ある日、オムパレーは森から奇襲を受け、牛をさらわれ、部下が殺された。ヘーラクレースが獅子の皮をまとって棍棒を持って森に入り、敵を掃討したので、オムパレーはヘーラクレースを夫とし、3人の子を産んだ。
解釈 ウィーンシェーンブルン宮殿のオムパレー像。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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