オマー・インファンテ
Omar Infanteカンザスシティ・ロイヤルズ時代
(2014年6月16日)
基本情報
国籍 ベネズエラ
出身地アンソアテギ州プエルト・ラ・クルーズ
オマー・ラファエル・インファンテ(Omar Rafael Infante, 1981年12月26日 - )は、ベネズエラ・アンソアテギ州プエルト・ラ・クルーズ(英語版)出身の元プロ野球選手(二塁手)。右投右打。 1999年にデトロイト・タイガースと契約。 2002年9月7日にフランシスコ・ロドリゲスに次ぐリーグ2番目の若さでメジャーデビューを果たした[2]。この年18試合に出場し、打率.333を記録した。 2003年はラモン・サンティアゴと出場機会を分け合いながら主に遊撃手としてプレーし、69試合に出場した。 2004年1月8日に遊撃手のカルロス・ギーエンがトレードで加入したため、この年は二塁手にコンバートされることとなった。 2004年は前年オフに獲得したベテランのフェルナンド・ビーニャとのポジション争いを制し、打撃部門で自己ベストとなる142試合に出場し、16本塁打、55打点を記録した。二塁手以外にも、遊撃手・三塁手・外野手も守り、ギーエンと同じく、前年オフに加入したイバン・ロドリゲスら共に、チームの最下位脱出に大いに貢献した。 2005年は開幕当初は二塁手としてプレーしていたが、ギーエンが怪我で長期離脱を余儀なくされてしまった。そのため、タイガースはインファンテを遊撃手に移し、チェイス・アトリーが台頭し始めていたフィラデルフィア・フィリーズから、好守の二塁手であるプラシド・ポランコをトレードで獲得することで、ギーエンの穴を埋めた。結局、遊撃手と二塁手をほぼ半分ずつ守りながら121試合に出場。 2006年はユーティリティープレイヤーとして、チームのワールドシリーズ進出に大いに貢献した。 2007年は出場機会こそ少なかったものの、得点圏打率.413をマークし、持ち前の勝負強さを発揮した。 2007年11月12日、ジャック・ジョーンズ外野手とのトレードでシカゴ・カブスへ移籍し、同年12月4日にトレードでアトランタ・ブレーブスへ移籍した。 2008年は150打数以上記録したシーズンとしては自己最高の打率.293をマーク。得点圏打率も.341と、2年連続で.340以上の数字を残し、93安打で40打点をたたき出した。一方で2004年には13個も記録していた盗塁は1つも出来なかった(盗塁死が1つある)。 2009年1月12日に2年340万ドルの契約をアトランタ・ブレーブスと結んだ。 2010年はオールスターに初選出された。
経歴
プロ入りとタイガース時代
ブレーブス時代アトランタ・ブレーブス時代
(2008年4月22日)
マーリンズ時代マイアミ・マーリンズ時代