オマール・トレビーニョ・モラレス
Omar Trevino Morales
生誕 (1974-01-26) 1974年1月26日(50歳)
メキシコ
タマウリパス州ヌエボ・ラレド
現況逮捕
収監中
国籍 メキシコ
別名
Z-42(ゼータ42)
L-42
オマール
オスカル・トレビーニョ・モラレス
コマンダンテ・フォーティツー
アレハンドロ・トレビーニョ・モラレス
民族メキシコ人
市民権 メキシコ
職業麻薬密売人
雇用者ロス・セタス
団体ロス・セタス
著名な実績ロス・セタスのリーダー
身長5フィート7インチ
(170cm)
肩書き最高幹部
前任者ミゲル・トレビーニョ・モラレス
後任者マクシリー・バラオナ・ナダレス
敵対者メキシコ軍
メキシコ警察
アメリカ政府
ガルフ・カルテル
罪名資金洗浄など[1]
犯罪者現況2015年3月4日に逮捕/現在は連邦社会再適応センター No.1に収監中
親ロドルフォ・トレビーニョ(父親)
マリア・アルセリア・モラレス(母親)
親戚ホセ・トレビーニョ・モラレス(兄)
ミゲル・トレビーニョ・モラレス(兄)
アナ・イザベル・トレビーニョ・モラレス(姉)
フアン・フランシスコ・トレビーニョ・モラレス(弟)
フアン・フランシスコ・トレビーニョ・チャベス(甥)
イスマエル・ブライアン・トレビーニョ(通称:エル・ゴルド/甥)
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オスカル・オマール・トレビーニョ・モラレス(スペイン語: Oscar Omar Trevino Morales、別名: Z-42、1974年1月26日 - )は、メキシコの麻薬カルテル「ロス・セタス」の最高幹部ミゲル・トレビーニョ・モラレスの弟[2]。兄ミゲルの逮捕に伴い、セタスの最高幹部就任が有力視されていた。しかし2015年、メキシコ警察に逮捕された。 オマールは1974年1月26日にタマウリパス州ヌエボ・ラレドにて生まれた。兄はロス・セタスの元リーダーであるミゲル・トレビーニョ・モラレスで、ミゲルがロス・セタスのメンバーだったことからオマールもロス・セタスに加入した。 オマールは2005年から2006年にかけてヌエボ・ラレドで発生した複数の誘拐と殺人事件の指示をしていたとされている。また、 メキシコから米国に密輸された数kg以上のコカインの流通を監督していた疑いがある。 オマールは2008 年にアメリカ合衆国の首都であるワシントンDCの連邦裁判所より起訴され、アメリカ国務省は彼の逮捕および/または有罪判決につながる情報に対して最大で500 万ドルの報奨金を出すと発表した[3][4]。また、アメリカ財務省はオマールは50人の麻薬密売者とともに麻薬密売に関与したとして、外国麻薬キングピン指定法 2015年3月14日午前4時ごろ、オマール・トレビーニョ・モラレスはヌエボ・レオン州サン・ペドロ・ガルサ・ガルシアにある高級住宅街 フエンテス・デル・バジェの邸宅内で、突入してきたメキシコ軍とメキシコ連邦警察の合同作戦チームによって逮捕された[6][2]。この逮捕劇では双方ともに1発の銃弾も発射されることはなかった[7]。 また、合同作戦チームはオマールを逮捕した邸宅の近くの地域で彼の金融経営者カルロス・アルトゥロ・ヒメネス・エンシナスと他の4人を逮捕したと発表した[8]。 オマールは逮捕から4日後にメキシコ軍の飛行機に乗せられると、機内で上半身裸になるように調査官から指示された。オマールは指示通りに来ていた服を脱ぐとぶよぶよの体で身体を調査官に見せつけた。オマールは胸部に入ったタトゥーの写真を調査官に取られ、オマール自身かの特定材料に使われた。収容所の近くの空港に到着するとメキシコ軍兵士4人に周りを固められながらゆっくりと滑走路上を歩き当局が用意していた装甲車に乗り込んだ。その後オマールはメキシコ国内で最も警備が厳重な連邦社会再適応センター No.1に収監された[9][10]。 メキシコの連邦判事により懲役18年の判決を受けた。
経歴
犯罪活動
逮捕
オマール・トレビーニョ・モラレスの逮捕
移送
判決
脚注[脚注の使い方]^ ⇒麻薬組織のリーダー逮捕=後継者争いで治安悪化も?メキシコ時事ドットコム(2013年7月17日)2013年7月23日閲覧
^ a b ⇒メキシコ麻薬組織のボス逮捕 海外紙は抗争激化を懸念ニュースフィア(2013年7月18日)2013年7月23日閲覧
^ “DEA Fugitives, Houston Fugitives, TREVINO-MORALES, ALEJANDRO
^ “Wayback Machine
^ “Sanctions Programs and Country Information
^ Mosso, Ruben (2015年4月3日). “Cae en Nuevo Leon lider de 'Los Zetas'