オペラ=コミック座
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オペラ=コミック座が、1840年から1887年まで本拠とした、第2代サル・ファヴァール

オペラ=コミック座(Theatre national de l'Opera-Comique)は、パリの劇団名または劇場名である。劇場は、パリ・オペラ座の東400m、パリ2区ファヴァール通り5番地及びマリヴォ通り界隈ボイエルデュー広場(Place Boieldieu, entre les rues de Marivaux et Favart.)に建つ。2005年1月、国立となった。
歴史

17世紀末、ルイ14世治下のパリでは、オペラ座1671年に、コメディ・フランセーズ1680年に王立化され、貴顕の淑女紳士を集めていた一方、季節の交易市場では旅芸人たちが庶民の喝采を浴びていた。La troisieme salle Favart en 2008

1709年、小屋の仮設が禁じられ、サン・ジェルマン市場(La foire Saint-Germain)に劇場が建ち、1714年12月26日、『オペラ=コミック座』を名乗る劇団ができた。同市場は現在のパリ6区サンジェルマン・デ・プレ界隈、サン・ジェルマン修道院(Abbaye de Saint-Germain-des-Pres)の近くに、12世紀末から開かれていた交易市である。

発足当初の経営難で座は、1719年1722年のシーズンを休み、また王立の座からの圧力で、1745年から1751年まで休場させられた。この時期の支配人はジャン・モネ(Jean Monnet)であったが、1758年、台本作家のシャルル・シモン・ファヴァール(Charles-Simon Favart)に代わった。

1762年2月3日、オペラ=コミック座はオテル・ド・ブルゴーニュ(Hotel de Bourgogne)劇場にいたコメディ・イタリエンヌ(旧Comedie-Italienne)と合併した。オテル・ド・ブルゴーニュは現在のポンピドゥー・センターの西北、500mにあった。そして1783年4月28日、現在地に劇場を建てて常打ち小屋とし、『サル・ファヴァール』と称した。建設時の呼称が『テアトル・イタリアン(Theatre italien) 』であったことから、劇場の北の街路が「イタリアン大通り」と呼ばれた。

これらの時期、次項の台本作者・作曲家らが、同座に関係した。

フランス革命後の1801年、新興のフェイドー劇場(Theatre Feydeau)と合併し、1840年までサル・ファヴァールを離れて、フェイドー劇場、サル・ヴァンタドール(Salle Ventadour)、ヌーヴォーテ劇場(Theatre des Nouveautes)で公演した。その間の1820年から翌年まで、オペラ座がサル・ファヴァールに仮に移った。

1807年ナポレオン帝国政府は、オペラ座レチタティーヴォを用いる伝統的なグランド・オペラ、オペラ=コミック座は台詞入りで軽い、いわゆるオペラ・コミック、とそれぞれの演目を分けた。

1838年1887年に2度焼失し、アルベール・カレ(Albert Carre)支配人の下、1898年に定員1750の現在の建物が、以前のおもかげを保って完成した。ちなみに、1875年竣工のオペラ座の定員は2167である。カレは、1898年 - 1913年1918年 - 1925年の2度にわたり支配人を務めた。

この19世紀後半から20世紀にかけ、オペラ=コミック座は下記の〔初演の記録(抄)〕に見るように、多くの初演をした。それらは年とともに、『コミカル』なオペラばかりでなくなり、またグルックモーツァルトワーグナーなどグランド・オペラも上演し、オペラ座との仲が波立った。Rue de Marivaux vue du boulevard des Italiens

1939年1月14日の政令で、オペラ座とオペラ=コミック座とは国立オペラ劇場連合(RTLN)の傘下に入り、RTLNの支配人が両劇場を監督する定めとなった。翌年からのナチスによる占領下では、RTLNはヴィシー政権に管轄された。

下って1972年、RTLNは、赤字が蓄積したオペラ=コミック座を閉鎖し、サル・ファヴァールはいったん、若年層教育のための『オペラ・ステュディオ』となった。この時点で管弦楽団ほかのカンパニーは消滅する。1976年のシーズンからは、サル・ファヴァールはオペラ座制作のオペラを上演すると変わり、ようやく1982年、オペラ=コミック座は1939年以前の自主性を取り戻した。

2005年1月、オペラ=コミック座は、国立オペラ=コミック劇場(Theatre national de l'Opera-Comique)となった。
18世紀ごろの台本作者・作曲家(抄)

台本作家

ルサージュ(Alain-Rene Lesage
)(1668 - 1747)、『逆転天地』『親しい恋仲』

シャルル=シモン・ファヴァール(1710 - 1792)、『アネットとリュバン』『包囲されたシテール』『イサベルとゲルトルード』

ルイ・アンソーム(Louis Anseaume)(1721 - 1784)、『喋る絵』

ジャン=フランソワ・マルモンテル(Jean-Francois Marmontel)(1723 - 1799)、『ユーロン』『ゼミールとアゾール』

ミシェル=ジャン・スデイヌ(Michel-Jean Sedaine)(1719 - 1797)、『脱走兵』『獅子王リチャード』


作曲家

ラモー(1683 - 1764)

ピエール=アレクサンドル・モンシニー(Pierre-Alexandre Monsigny)(1729 - 1817)、『脱走兵』『思いも寄らず』

フィリドール(1726 - 1795)

グレトリ(1741 - 1813)

ニコラ・ダレーラク(Nicolas Dalayrac)(1753 - 1809)、『カミーユ』『レオン』


初演の記録(抄)

ウフロジーヌとコラダン
(英語版)(ニコラ・メユール)、1790年9月4日

バグダッドの太守(英語版)(ボワエルデュー)、1800年9月16日

兵隊屋敷(Le sejour militaire)(オベール)、1813年2月27日

赤ずきん(Le petit chaperon de rouge)(ボワエルデュー)、1818年6月30日

転覆した馬車(Les voitures versees、改訂版)(ボワエルデュー)、1820年4月29日

楽長(英語版)(フェルディナンド・パエール)、1821年3月29日

エンマ(Emma, ou La promesse imprudente)(オベール)、1821年7月7日

白衣の婦人(ボワエルデュー)、1825年12月10日

フラ・ディアヴォロ(オベール)、1830年2月28日

ザンパエロルド)、1831年5月3日

ブランヴィリエ侯爵夫人(英語版)(ボワエルデュー、オベール、エロールほかの共作)、1831年10月3日

プレ・オ・クレール(エロルド)、1832年12月15日

ギュスターヴ三世(英語版)(オベール)、1833年2月27日

山小屋(英語版)(アダン)、1834年9月25日


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