オペラ・セリア
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ヘンデル『ランゴバルド王フラーヴィオ』の上演の戯画。当時の有名なオペラ・セリア歌手が3人描かれている。左から、セネジーノ、"ディーヴァ"のフランチェスカ・クッツォーニ、"カストラート"のガエターノ・ベレンシュタット。.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル クラシック音楽

オペラ・セリア(正歌劇、イタリア語:Opera seria, or dramma per musica; ドランマ・ペル・ムジカ, melodramma serio; メロドランマ・セリオ)は、1710年代から1770年頃までヨーロッパで支配的だった、高貴かつ「シリアス」(イタリア語:seria)なイタリア・オペラ(英語版)のこと。もっとも当時は「オペラ・セリア」という言葉が使われることは滅多になく、流行が廃れてから使われるようになった。歴史的ジャンルと見られたのである。オペラ・セリアのライバルは、即興的なコメディア・デラルテを手本とした喜劇的なオペラ、オペラ・ブッファである。

イタリア語で歌われる「オペラ・セリア」(オペラ台本は例外なくイタリア語で書かれていた)はイタリアだけでなく、イングランドや、ハプスブルク・オーストリアザクセンなどのドイツ諸国、さらにスペインでも上演された。しかし、フランスでは人気がなかった。自国のフランス・オペラ(英語版)が好まれていたからである。

人気のあったオペラ・セリア作曲家には、アレッサンドロ・スカルラッティヨハン・アドルフ・ハッセレオナルド・ヴィンチニコラ・ポルポラゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルなどがいる。18世紀後半の作曲家では、トンマーゾ・トラエッタクリストフ・ヴィリバルト・グルック、そしてヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトなどがいる。
構造

オペラ・セリアは、盛期バロック時代の厳格な「dramma per musica(音楽による劇)」の慣習に則って、「A-B-A」三部形式ダ・カーポアリアを発展することによって作られた。第一部(A)はテーマの提示で、第二部(B)はそれを補うもの、第三部(A)は歌手による音楽の飾りと仕上げを伴う第一部の繰り返しである。発展していく中で、アリアが長くなり、そのため一般的なオペラ・セリアの楽章は多くて30くらいである[1]

始まりは急-緩-急の3楽章(イタリア風序曲形式)の器楽曲の序曲シンフォニア)で、それから登場人物の感情を表現したアリアと、台詞を含む一連のレチタティーヴォが続く。このパターンを唯一破るものは、主役の恋人たち二人によるデュエット(二重唱)だけである。レチタティーヴォは通奏低音チェンバロチェロなど)のみの伴奏で歌われるレチタティーヴォ・セッコが一般的だが、とくに激しい感情を表す時は、全弦楽器の伴奏で歌われるレチタティーヴォ・ストロメンタートになる。弦楽器とオーボエ(時にはフルートなど)の伴奏でアリアが歌われた後、登場人物は退場し、観客に拍手を促すのが一般的だった。これが3幕続き、そして歓喜のクライマックスとなり、陽気な合唱で締めくくられる。主演の歌手たちは、それぞれのアリアの雰囲気(悲しみ、怒り、英雄的、瞑想的)を正しく表現することが求められた。

オペラ・セリアのドラマツルギーは、フランス・オペラが堕落したオペラ台本としばしば批判されたことへの返答として発展した。ローマに拠点を置くアッカデミア・デッラルカディア(英語版、イタリア語版)は、演劇の三一致の法則を遵守し、またたとえばジョヴァンニ・フランチェスコ・ブゼネッロ(英語版、イタリア語版)台本の『ポッペーアの戴冠』のような「不道徳な」筋を、楽しむことと同様に教えることを目的とした高徳な物語に置き換えようとした。しかし、古典劇のしばしば悲劇的な結末は、端正さという観点から拒絶された。アポストロ・ゼーノのような初期のオペラ・セリアの台本作家たちは、徳は報いられ、意気揚々と示されなければならないと感じていた。フランス・オペラの中では一般的なスペクタクルやバレエは取り除かれた[1]
歌手

オペラ・セリアの時代は、高音で力強いソプラノまたはアルトを維持するために、思春期前に去勢され、10何年間の厳しい音楽修業を積んだ才能ある男性歌手、つまりカストラートの台頭の時期と一致した。カストラートたちには英雄的な男性の役が与えられた。一方、もう一つの新しいオペラの創造物、プリマドンナ(英語版)も生まれた。そうした驚異的な技術を持つスター歌手たちの台頭は、作曲家たちにより複雑な声楽作品を作らせることになった。この時代の多くのオペラは特別の歌手たちの魅力を活かすために書かれていた。カストラートの中でおそらく最も有名な人物は、ポルポラの指導でデビューしたファリネッリだろう。ファリネッリはヘンデルのためには歌わなかったが、ライバルのカストラート、セネジーノは歌った[2]
歴史
1720年 - 1740 年

オペラ・セリアは、1720年代の初期に最終的な形式を獲得した。アレッサンドロ・スカルラッティはアポストロ・ゼーノと道を整備する一方で、メタスタージオとこのジャンルを結実させた。メタスタージオの最初の作品はセレナータ『ヘスペリデスの園』で、ニコラ・ポルポラ(後のハイドンの師)がそれに曲をつけ、成功を得た。このことで、高名なローマのプリマドンナ、La Romaninaことマリアンナ・ブルガレッリ(英語版)がメタスタージオに注目し、自分のprotege(被保護者)にした。ブルガレッリの庇護下で、メタスタージオは『捨てられたディドーネ』(英語版)、『ウティカのカトーネ』、『エツィオ』(英語版)、『インドのアレッサンドロ』、『許されたセミラーミデ』、『シローエ』(英語版)、『アルタセルセ』と次々にオペラ台本を書き、その1本1本にイタリア、オーストリアの巨匠たちがそれぞれ別の曲をつけ、国境を越えたオペラ・セリアの性質が確立された。(たとえば『アルタセルセ』にはヴィンチ、ハッセ、グルック、カール・ハインリヒ・グラウンガルッピヨハン・クリスティアン・バッハらが曲をつけた。Artaserse(英語版)参照)。1730年から1740年代の中頃まで、メタスタージオはウィーンに住み、帝国劇場のために、『アドリアーノ』、『デメトリオ』、『イッシーピレ』、『デモフォーンテ』(英語版)、『オリンピーアデ』(英語版)、『皇帝ティートの慈悲』、『シーロのアキレス』、『テミストークレ』、『羊飼いの王様』、そして最高傑作と言われる『アッティーリオ・レーゴロ』(英語版)など多数のオペラ台本を書いた。メタスタージオとその模倣者たちは、オペラ台本に、古代(ギリシア・ローマ)の古典的キャラクターが主人公のドラマを引いてきた。主人公たちには立派な価値と徳を付加し、愛・名誉・義務の間で葛藤させ、(オペラでも非音楽劇でもどちらでも上演可能な)優雅で華美な言葉をしゃべらせた。ところでヘンデルはオペラ・セリアのメインストリームとは離れたところで創作を続けていて、ロンドンの観客のためにメタスタージオの台本に曲をつけたのは数本しかなく、多様な台本を好んだ。

この時期の主要なメタスタージオ作曲家は、ヨハン・アドルフ・ハッセアントニオ・カルダーラレオナルド・ヴィンチニコラ・ポルポラジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージである。ヴィンチ作曲の『捨てられたディドーネ』と『アルタセルセ』は、そのレチタティーヴォ・ストロメンタートが賞賛され、ヴィンチはこのスタイルのメロディを確立するという重要な役を果たした。対照的にハッセは、伴奏に重きをおき、当時の人々からはヴィンチより野心的と見なされた。ペルゴレージはそのリリシズムが有名だった。あらゆるものへの挑戦し、多様性、レチタティーヴォ・セッコのパターンの打破、アリア・ダ・カーポを成し遂げた。メタスタージオの台本の移り気なムードはレチタティーヴォ・ストロメンタート、リトルネロ形式のカットといった作曲家のためになる革新を行うことを助けた。この期間、特定の感情を反映するための調の選択がスタンダード化した。たとえばニ短調は「怒りの」アリアに、ニ長調は華やかさ、ト短調は牧歌的な効果、変ホ長調は愁嘆の効果に用いられるようになった[3]


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