オベリスク
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オダリスク」とは異なります。

シェリル・ノーム starring May'n」の曲「オベリスク」(『劇場版 マクロスF』挿入歌)については「ユニバーサル・バニー」を、生物学については「オベリスク (生物学)」をご覧ください。
ナヴォーナ広場のオベリスク(Obelisco Agonalis、イタリア)

オベリスク(方尖塔[1]: obelisque[注 1]: obelisk[注 2])は、一つの石から掘り出した四角柱で、その先端は四角錘につくられる[2]

古代エジプト(特に新王国時代)時代から古代ローマ時代にかけて、広場、競技場、神殿などに立てられた記念碑(モニュメント)の一種。近代および現代においては、エジプトに依らず欧米の主要都市の中央広場などにも建設され、その地域を象徴する記念碑である。その意味でメンヒルに類似する。

ルクソール神殿(エジプト)の前にあったオベリスクのうちの1本が、ナポレオン三世の時代(フランスの植民地時代)にパリのコンコルド広場に移設されたことは有名[2]

ルネッサンス期以降、オベリスクは都市の象徴的な塔と考えられた[2]

オベリスクの名称は後世のギリシャ人がobeliskos(串)と呼んだのが起源で、当時のエジプトでは「テケン(保護・防御)」と呼ばれていた。日本語では方尖柱(ほうせんちゅう)と呼ばれることもある[3]
形状

ほとんどは四角形の断面をもち、上方に向かって徐々に狭まった、高く長い直立の石柱である。大きいものではその重量が数百トンにも及ぶ。

先端部はピラミッド状の四角錐(ピラミディオン)になっており、創建当時はここがの薄板で装飾され、太陽神のシンボルとして光を反射して輝くようにされていたとされる。また、その影を利用して日時計としての役割も果たした。
歴史

古代オベリスクの起源は、太陽信仰のヘリオポリスベンベンを模式化したものと考えられている。側面には王の名や神への讃辞がヒエログリフで刻まれ、太陽神と共に王の威を示す象徴とされた。

後の時代にローマ帝国がエジプトに侵攻すると、オベリスクは戦利品として頻繁に略奪された。4世紀に首都となったコンスタンティノポリス競馬場にも略奪したオベリスクが運ばれ、現在のイスタンブールにも残っている。以降の時代も欧州諸国からの略奪は続き、それらの国の公園や広場の装飾品に用いられた。フランスコンコルド広場や、バチカンのサン・ピエトロ広場にあるオベリスクはよく知られている。そのため、現代エジプト国内に残されたオベリスクはカルナック神殿ルクソール神殿などにわずかに残るのみとなった。

エジプトのオベリスクはその多くが花崗岩で制作されていたが、20世紀以降に南米で制作されたオベリスクの中には鉄筋コンクリート製のものもある。
現存する30本の古代オベリスク

現在、世界に現存する古代オベリスクは30本であり、内13本がローマに、7本がエジプトにある。近代や現代に建設されたオベリスクは、世界各地に無数に存在する。象が台座のObelisco della Minerva
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ
イタリア
ローマ
ローマのオベリスク」も参照

Obelisco Agonale - ナヴォーナ広場

Obelisco di Dogali - ディオクレティアヌス浴場

Obelisco Esquilino - サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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