オブライエン_(DD-415)
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艦歴
発注
起工1938年5月31日
進水1939年2月20日
就役1940年3月2日
退役
その後1942年10月19日に沈没
性能諸元
排水量基準:1,570トン、満載:2,211トン
全長106.15 m
全幅11 m
吃水4.07 m
機関バブコック&ウィルコックス 3基
ウェスティングハウス・タービン 2基 50,000hp (37 MW)
2軸推進
最大速力35ノット
航続距離3,660海里 (20ノット時)
乗員士官10名、兵員182名
兵装38口径5インチ砲 5基
12.7mm単装機関銃 4挺
533mm4連装魚雷発射管 2基
爆雷投下軌条2基

オブライエン(USS O'Brien, DD-415)は、アメリカ海軍駆逐艦シムス級駆逐艦の7番艦。艦名はアメリカ独立戦争時の軍人、ジェレマイア・オブライエン(英語版)とその兄弟に因む。オブライエン兄弟は1775年6月11日から12日にかけて起こったマチャイアスの海戦にて、イギリス海軍の武装スクーナーであるマーガレッタ (HMS Margaretta) を拿捕する功績を挙げた。
艦歴

オブライエンは1938年5月31日にボストン海軍工廠で起工され、1939年10月20日にジョセフィン・オブライエン・キャンベル(ギデオン・オブライエンの子孫)によって命名、進水、1940年3月2日にカール・F・エスペ少佐の指揮下就役した。艦はウォーク (USS Walke, DD-416) 、ランズデール (USS Lansdale, DD-426) およびマディソン (USS Madison, DD-425) と共に建造され、命名式は4艦合同で行われた。オブライエンは就役後、1940年から1941年にかけて東海岸沿いに作戦活動に従事した。1941年秋には入渠修理を行った。
太平洋戦線

1942年1月15日、オブライエンは戦艦アイダホ (USS Idaho, BB-42) 、駆逐艦マスティン (USS Mustin, DD-413) とともにノーフォークを出港して太平洋に向かい、パナマ運河経由で1942年1月31日にサンフランシスコに到着した。2月4日、輸送船団とともにサンフランシスコを出港して西太平洋へ向かったが、駆逐艦ケース (USS Case, DD-370) と衝突したため引き返した。メア・アイランド海軍造船所で修理を行い、修理後はサンディエゴ経由で真珠湾へと向かった。3月5日には、第4駆逐群司令がオブライエンに乗艦して、その旗艦とした。

3月4日、日本海軍は新鋭の二式飛行艇を使ってハワイ爆撃を行う(K作戦)。これを受け、アメリカ海軍では二式飛行艇がどこから飛来してきたのか検討し始めたが、やがて「フレンチフリゲート瀬に潜水艦を待機させて中継補給を行い、爆撃してきたのではないか」と結論付けられた[1]。そこで、フレンチフリゲート瀬など北西ハワイ諸島の警戒を強めた[2]。オブライエンも3月後半に一連の警戒に加わり、その後はミッドウェー島へ在島の民間人を収容するために派遣される水上機母艦カーティス (USS Curtiss, AV-4) の護衛を行い、4月3日に真珠湾に帰投した。対空兵装の強化工事を受けた後の4月18日、駆逐艦フラッサー (USS Flusser, DD-368) 、マグフォード (USS Mugford, DD-389) とともにパルミラ環礁の海軍航空基地へ向かう要員を乗せて真珠湾を出港。任務終了後、サンディエゴおよびサンフランシスコからサモアへ向かう船団に合流して護衛陣に加わり、4月28日にパゴパゴに到着した。5月26日には、自由フランス軍によるウォリス島の占領を支援した。占領後の6月19日、貨物輸送艦プロキオン (USS Procyon, AKA-2) と合流し真珠湾に帰投した。8月17日、オブライエンは第17任務部隊(英語版)(フランク・J・フレッチャー中将)に加わり、給油艦グアダルーペ (USS Guadalupe, AO-32) の護衛を務めた。
沈没伊19からの魚雷が命中したオブライエン。左遠方は炎上中の空母ワスプ(1942年9月15日)

8月8日にガダルカナル島の戦いが始まり、日米双方の艦隊、機動部隊ガダルカナル島周辺や近隣海域で戦闘や護衛任務を行っていた。第一次ソロモン海戦(8月8日、9日)、第二次ソロモン海戦(8月24日)と2つの大きな海戦も起こっており、第17任務部隊もガダルカナル島行きの輸送船団の間接護衛にあたっていた[3]。その第17任務部隊は、8月31日に空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) が伊号第二六潜水艦(伊26)の雷撃で損傷してフレッチャー中将とともに戦場を去り、ジョージ・D・マレー少将座乗のホーネット (USS Hornet, CV-8) が代わりに加入[3]トーマス・C・キンケイド少将の第16任務部隊もエンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) が第二次ソロモン海戦で損傷したため後方に下がり、代わりにワスプ (USS Wasp, CV-7) を基幹とする第18任務部隊(レイ・ノイズ少将)が戦場に到着し、2つの任務部隊でガダルカナル島の戦いを援護していた[4]


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