オブザーバトリー・サークル1番地
Number One Observatory Circle
情報
用途副大統領官邸
設計者レオン・E・デッセス
オブザーバトリー・サークル1番地(英語: Number One Observatory Circle)はアメリカ合衆国副大統領の官邸である。ワシントンD.C.のアメリカ海軍天文台の敷地内の北東にあり、1893年に天文台の管理者のために建てられた。1923年、この邸宅をとても気に入ったアメリカ海軍作戦部長(CNO)が自分のために引き継いだ。1974年に議会が臨時の副大統領官邸としての変更を承認するまで作戦部長の住居のままだった。実際、今でも法律では「アメリカ副大統領の公式臨時官邸」となっている。1974年の議会の承認はこの邸宅の改装や家具の費用を補っていた。
1974年にオブザーバトリー・サークル1番地は副大統領が使える様になったが[1][2]、副大統領がこの邸宅に常時居住する様になるまで3年以上の月日が流れた。ジェラルド・R・フォード副大統領はこの邸宅が使える様になる前に大統領に昇格した。彼の副大統領だったネルソン・ロックフェラーは既にワシントンD.C.に住居を持っていたため、主として余暇の時にこの邸宅を使っていた[3]が、ロックフェラーはこの邸宅に数百万ドル相当の家具を寄付した。 ウォルター・モンデール副大統領がこの邸宅に入居した最初の副大統領だった。それ以降はすべての副大統領がここに住んでいる[4]。
2001年初頭、副大統領官邸はアメリカ海軍によって改装され、当時のディック・チェイニー副大統領とその家族の入居がわずかに遅れる事になった。同様に、カマラ・ハリス副大統領も改修工事が理由で、2021年4月まで引っ越しを遅らせた[5][6]。
歴史
初期の歴史1893年にテラコッタの煉瓦で建てられたクイーン・アン様式(英語版)の邸宅は
1960年まで外壁に塗装はされていなかった。
オブザーバトリー・サークル1番地の邸宅は建築家のレオン・E・デッセス(英語版)が設計し、1893年に最初の居住者であった海軍天文台の管理者が用いるため2万ドル(2019年時点の569,111ドルに相当)で建てられた。 邸宅の敷地は元々1880年に海軍が購入したノースビューと呼ばれる73エーカー(30ヘクタール)の農場の一部にあたる13エーカー(5.3ヘクタール)の土地だった[7]。ノースビューは、1862年に同地区で奴隷制度が廃止された当時、最大の奴隷所有者のひとりであったマーガレット・バーバー未亡人の地所であった[8] 。それはホワイトハウスからわずか2.5マイルの位置にあり[9]、その真南の位置にはイギリス大使館(英語版)がある[10]。天文台はフォギー・ボトム(英語版)から新たな場所に移され、邸宅が完成した同じ年から12人の天文台管理者が、当時「管理者の家」として知られていた場所に住んだ。1928年、公法630号の可決により、議会は海軍作戦部長のためにこの邸宅を割り当て、1929年6月にはチャールズ・ヒューズ(英語版)が「提督の家」と呼ばれるようになった邸宅の最初の居住者となった[7][11]。その後の45年間、リチャード・リー(英語版)、チェスター・ニミッツ、エルモ・ズムウォルトなどの提督の邸宅として用いられた。邸宅の外壁は建てられた当時は濃い赤レンガ色だったが、1960年にフェザーグレーに塗装された。1963年には白(シャッターは黒)に変更され、現在[いつ?]はクリーム色になっている[12]。アメリカ海軍天文台の航空写真の左下にオブザーバトリー・サークル1番地の建物が見える。 それまでの歴代の副大統領経験者は、在任中の間ホテルや私邸に住んでいた[13]。1923年、ジョン・B・ヘンダーソン
歴代副大統領の住居と法律
1966年、議会はケネディ大統領暗殺事件を受けて「コロンビア特別区にアメリカ合衆国副大統領官邸」を設置し、「アメリカ海軍天文台の敷地の内約10エーカー」をその用途に指定する法律を可決したが、その1ヶ月後、リンドン・ジョンソン大統領は経済が回復するまで建設の中断を決断し、建設が再開される事はなかった[13]。正式な場所は後にアメリカ会計検査院(英語版)(GAO)と海軍が決定し、ベトナム戦争が終わって予算の目途がついた時点で建設が開始される事になっていた。その間、シークレットサービスはヒューバート・ハンフリー、スピロ・アグニュー、ジェラルド・フォードの各副大統領の私邸の高額な改装費用を支払った。
アグニューは1973年に辞任する前の3ヶ月間のみ彼の私邸に住んだが、彼はその後間もなく政府が改装予算(シークレットサービスのための追加の部屋、フェンス、新たな私道など)を費やした邸宅を転売して大きな売却益をえた。これはちょっとしたスキャンダルとなり、その後の調査で私邸を確保し続けるより、すぐ新たな副大統領官邸を設置した方が安上がりである事が判明した[要出典]。 1974年7月、議会は現職の海軍作戦本部長が退任した時点で、提督の邸宅を「アメリカ副大統領の臨時公式官邸」とする新法を可決した。
ロックフェラーとモンデール