オバケのQ太郎
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藤子不二雄 > 連載 > オバケのQ太郎
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2015年3月)
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「Q太郎」はこの項目へ転送されています。本作品の主人公については「#オバケ」を、漫画家については「花見沢Q太郎」を、お笑い芸人については「鈴木Q太郎」をご覧ください。

「オバケのQ太郎」のその他の用法については「オバケのQ太郎 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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オバケのQ太郎
ジャンル少年漫画ギャグ漫画
漫画
作者藤子不二雄
出版社小学館
掲載誌週刊少年サンデー
レーベルてんとう虫コミックス
発表号1964年6号 - 1976年5月号
巻数TC:全16巻
FF:全27巻
F全:全16巻
※新も合算
テンプレート - ノート

『オバケのQ太郎』(オバケのQたろう)は、藤子不二雄藤本弘安孫子素雄)による日本ギャグ漫画作品。ごく普通の家庭に住み着いたオバケが引き起こす騒動を面白おかしく描いた藤子流生活ギャグ漫画の原点にして、藤子漫画の代表作の一つ。3度テレビアニメシリーズ化されている。『オバQ』と省略されて呼ばれることも多い。
概要

1964年に連載が開始され、1965年アニメ化されたことで「オバQブーム」と呼ばれる社会現象を巻き起こした。藤子はこれを機に「ギャグ漫画の藤子不二雄」として社会に広く認知されるようになった。漫画連載とアニメ放送は1967年に『パーマン』に切り替わる形で終了した(人気低下ではなく、グッズを売りたいスポンサーの要請)。

1971年3月に続編漫画が連載開始。同年9月から翌年12月かけて2作目のアニメシリーズ『新オバケのQ太郎』が放送された。漫画連載は1974年に終了したが、1976年まで読切作品が数本描かれた(漫画は1976年の最後の読切まで藤本と安孫子の合作。単行本でのタイトルは『新オバケのQ太郎』だが、連載時のタイトルは『オバケのQ太郎』)。

1973年には後日譚『劇画・オバQ』(藤本単独作)が描かれた。

1985年?1987年には3作目のアニメシリーズが放送された。その際には藤子による漫画の新作は描かれなかった(風田朗ら他者が作画した漫画の新作は雑誌に連載された)。1986年1987年と、劇場版新作映画が2作公開された。
合作分担
ストーリー(ネーム)

『少年サンデー』連載版のストーリーは、1964年の連載開始当初は藤本と安孫子の両方で担当していたが、やがて藤本のみで担当するようになった
[1]。それ以外の雑誌に掲載された作品では基本的に藤本が担当。
作画
1964年の連載開始から1976年の最後の読切まで、藤本と安孫子で作画を担当した(藤本は「Q太郎」らオバケ、安孫子は「正太」「伸一」「小池さん」を担当)。
1985年の3度目のアニメ化の際のキャラクター設定書も、正太と伸一のものは安孫子が執筆している。1964年から1967年の『少年サンデー』版他、一部の漫画作品は「藤子不二雄とスタジオゼロ」名義[注 1]で連載され、スタジオゼロの面々が脇役や背景の作画を行った。特に石森章太郎は多数の脇役の作画を担当した。スタジオゼロが作画に関わった回では、つのだじろう長谷邦夫もその他の人物を作画したことがある。北見けんいちは背景を担当していた。このため、作中では石森作品や赤塚作品のキャラクター(『おそ松くん』の六つ子やチビ太など)が度々登場した。学年誌連載版は主に藤子不二雄のみ(藤本と安孫子)で作画を担当した(背景等はアシスタントが作画)。『よいこ』『幼稚園』等の幼年版は、藤本が全ての作画を担当した(背景等はアシスタントが作画)。1971年から連載された新シリーズ(後に『新オバケのQ太郎』のタイトルで単行本化)においては、連載の前半では永田竹丸が、後半では方倉陽二がチーフアシスタントを務め、人物の体のペン入れや背景作画の統括作業を担っている(詳細は「ドラえもん#藤本とアシスタントの作画分担」を参照)。
名義
1988年の独立時の権利分割の流れで、その後発売された単行本は『オバケのQ太郎』は「藤子・F・不二雄 藤子不二雄?」の2人の名義、『新オバケのQ太郎』は「藤子・F・不二雄」の単独名義となっているが、権利上名義が分けられたのみで、『新オバケのQ太郎』も1976年の最後の読切まで安孫子が一部の作画を担当している合作である。藤子プロのWebサイトの年表等には1971年の箇所に「『新オバケのQ太郎』は藤本弘の著作物」と記されていることがあるが誤り。正確には「『新オバケのQ太郎』は藤本弘と安孫子素雄の合作で、1987年までは藤子不二雄名義の著作物。その後権利を分割したため、1989年以降は藤子・F・不二雄名義の著作物」となる。
最後の合作

1987年の独立時に「合作はオバQあたりまで」と藤子が語ったことで、「最後の合作は1964年に描かれたオバQ」と誤解されがちだが、その後も多くの合作作品が発表されている。最後の合作となったのはドラえもんアニメ化後の1976年に描かれた『オバケのQ太郎』の読切作品(『月刊少年ジャンプ』掲載)。1964年から1976年までの『オバケのQ太郎』を年代順に読むと、両人の絵のタッチの違いが明確になっていく様を確認できる。


歴史


新連載の依頼
1963年 新連載の企画
週刊少年サンデー』編集部に出入りしていた子供[注 2]の持ち込んだ自筆のお化け漫画「ケバ男くん」を見た編集者はお化け漫画を連載することを提案し[2]、藤本が怪談やオバケ好き[注 3]と聞いてオバケを主人公にした漫画を依頼した。
1963年10月末 連載依頼とスタジオゼロ雑誌部の創設[3]
当時、藤子たちは仲間とアニメスタジオ「スタジオゼロ」を経営していたが、アニメ制作の収入が見込めていない状態だったため、スタジオゼロに雑誌部を創設し、スタジオ所属のメンバーが本作の作画を手伝う代わりに連載の原稿料はスタジオの収入とすることにした。


タイトルの決定
1963年の末頃 タイトルの決定
[注 4]
安孫子がメインで執筆し、藤本も一部を執筆した自伝『二人で少年漫画ばかり描いてきた』によると、まず最初に『オバケの○太郎』というタイトルが決まり、○の部分にはめる言葉を探していたとき、小説家安部公房の本をパラパラとめくっていたら、Qという文字が目に止まり、「愛敬のある字」「オバケ的」だと感じたという理由でQ太郎になったという[4]。また、幸森軍也著・鈴木伸一監修『ゼロの肖像 「トキワ荘」から生まれたアニメ会社の物語』(講談社、2012年)では、上記の説にも触れつつ、○の部分を決めたきっかけとして「書店で藤本が見かけた魯迅の『阿Q正伝』」が紹介されている(また、同作の主人公「阿Q」という名称は日本語の感覚では、「Qちゃん」のようなイメージとなる(当該項目参照))。


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