オテル・デ・ミル・コリン
[Wikipedia|▼Menu]
ホテル正面

オテル・デ・ミル・コリン(フランス語: Hotel des mille collines)とは、ルワンダの首都、キガリにあるホテル1994年ルワンダ虐殺の際に、1000人以上の避難民をかくまった場所として有名になった。映画『ホテル・ルワンダ』は当時の支配人であったポール・ルセサバギナの話をもとにしている。ホテルの名前になっている、フランス語のミル・コリン(千の丘)とは、ルワンダの別称である。目次

1 歴史

2 脚注

3 出典・参考文献

4 外部リンク

歴史

1973年に建設され、ルワンダ虐殺の当時は、サベナ・ベルギー航空社がホテルを経営していた[1]ルワンダ紛争の停戦を監視する国際連合ルワンダ支援団(UNAMIR)は1993年10月の発足当初はホテルを本部にしていたが、翌11月にUNAMIR司令官のロメオ・ダレールとルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領は、1986年中華人民共和国によって建設されたアマホロ・スタジアム(英語版)を新たな本部に代えた[2]。ホテルのヨーロッパ人支配人は退避しており、副支配人であったルセサバギナが支配人となった。フツ族民兵賄賂を使って避難民を虐殺から守り、や食料を確保する手配を行い、1000人以上の避難民が助けられた。

現在でも四つ星ホテルとして営業している。施設には112の客室、カフェバー、3の会議室、レストラン、プールがある。公式ホームページによれば、2005年9月15日に、サベナ社から、ルワンダのミッコー・ホテルズ・ホールディング(Mikcor Hotels holding)に経営譲渡された。
脚注

[脚注の使い方]
^ Mwai, Collins. “ ⇒Mille Collines snaps ties with Kempinski Hotels”. The New Times Rwanda. 2018年10月21日閲覧。
^ Dallaire, Romeo (2005). Shake Hands with the Devil: The Failure of Humanity in Rwanda. London: Arrow. ISBN 9780099478935. pp. 106-110.

出典・参考文献

出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2018年10月)


ポール・ルセサバギナ 『ホテル・ルワンダの男』  堀川志野舞訳、ヴィレッジブックス2009年。 - 自伝

外部リンク

Hotel des Mille Collines


更新日時:2019年2月20日(水)17:25
取得日時:2021/08/10 22:37


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:6179 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef