オッフェンバッハ郡
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紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:ヘッセン州
行政管区:ダルムシュタット行政管区
郡庁所在地:ディーツェンバッハ
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯50度01分06秒 東経08度47分08秒 / 北緯50.01833度 東経8.78556度 / 50.01833; 8.78556座標: 北緯50度01分06秒 東経08度47分08秒 / 北緯50.01833度 東経8.78556度 / 50.01833; 8.78556
面積:356.23 km2
人口:

357,466人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:1,003 人/km2
ナンバープレート:OF
自治体コード:

06 4 38
郡の構成:13 市町村
行政庁舎の住所:Werner-Hilpert-Strase 1
63128 Dietzenbach
ウェブサイト:www.kreis-offenbach.de
郡長:オリヴァー・クヴィリング (Oliver Quilling)
州内の位置

地図

オッフェンバッハ郡 (ドイツ語: Landkreis Offenbach) は、ドイツ連邦共和国ヘッセン州ダルムシュタット行政管区に属す郡である。ライン=マイン地域の中央に位置し、フランクフルト・アム・マインを中核都市とする大都市密集地域フランクフルト都市圏の一部をなす。郡庁所在地は2002年以降はディーツェンバッハであるが、それ以前はオッフェンバッハ・アム・マインであった。
地理

オッフェンバッハ郡はマイン川の谷の下流域に位置し、マイン川が郡の北辺を形成している。郡域内には松林や、砂利採石場に由来する湖が数多くある。オッフェンバッハ郡の小川は、マイン川の支流であるローダウ川やビーバー川の水系に属す。

オッフェンバッハ郡は、マイン=キンツィヒ郡アシャッフェンブルク郡バイエルン州)、ダルムシュタット=ディーブルク郡グロース=ゲーラウ郡およびフランクフルト・アム・マインオッフェンバッハ・アム・マインダルムシュタットと境を接している。
歴史
郡の前史

郡の西部は主にイーゼンブルク伯領、東部は主にマインツ選帝侯領に属した。マインツ領は、それ以前はエップシュタイン家やハーゲン=ミュンツェンベルク家に属していた。さらにそれ以前は、ランゲン付近を除く全域がフランク人のマインガウに属していた。現在の郡域にあたる地域の、神聖ローマ帝国時代の他の領主としては以下のものがある: ランゲン、エーゲルスバッハおよびディーツェンバッハヘッセン=ダルムシュタット方伯ドゥーデンホーフェンはハーナウ伯の継承者であるヘッセン=カッセル方伯ホイゼンシュタムオーベルツハウゼン、ハウゼンおよびグラーヴェンブルーフがシェーンボルン伯、ヴィルトホーフとその周辺の森はドイツ騎士団、メッセンハウゼンはフランケンシュタイン家に属した。

1803年のマインツ大司教領の世俗化以後、この領域はヘッセン大公国に引き継がれたが、こうした旧領邦がアムトとして残された。1820年12月17日のヘッセン大公国憲法の公布後、1821年7月14日に大規模な行政改革が行われた。これにより、伝統的なアムトに替わってラントラーツベツィルクが設けられた。後にオッフェンバッハ郡となる地域はシュタルケンブルク州の以下の郡に分かれていた。

ラントラーツベツィルク・ランゲン: ギンスハイム、ナウハイムおよびツェント・アルハイリゲンを除く旧アムト・ケルスターバッハ。旧アムト・ディーブルクのオーバー=ローデンおよびニーダー=ローデン。旧アムト・シャーフハイムのディーツェンバッハ。

ラントラーツベツィルク・オッフェンバッハ: 旧イーゼンブルク伯領のビュルゲル、ドライアイヒェンハイン、ゲッツェンハイン、ミュンスター、ノイ=イーゼンブルク、オッフェンタール、フィリップスアイヒ、シュプレンドリンゲン、ウルベーラハ、グラーヴェンブルーフ、ゲーシュピッツ、ノイホーフ、ヴィルトホーフおよびオッフェンバッハの森とドライアイヒの森。これによりラントラーツベツィルク・オッフェンバッハは1828年までラントラーツベツィルク・ランゲンを2つの地区に分離していた。

ラントラーツベツィルク・ゼーリゲンシュタット: 世俗化されたマインツ選帝侯領のマイン川左岸領域の他、1736年までハーナウ領でその後ヘッセン=ダルムシュタット方伯領とヘッセン=カッセル方伯領とに分割されていたアムト・バーベンハウゼンの大部分が含まれた。ゼーリゲンシュタットの本来の背後地であるマイン川右岸の教団領は、1803年にアシャッフェンブルク侯領およびフランクフルト大公領となり、1814年バイエルン王国領となった。

オッフェンバッハ郡の形成

1832年8月20日にラントラーツベツィルク・オッフェンバッハ、ラントラーツベツィルク・ジーゲンシュタットおよびラントラーツベツィルク・ランゲンの一部から、オッフェンバッハを郡庁所在地とするオッフェンバッハ群が形成された。ラントラーツベツィルク・ランゲンは以下の通り分割された: すなわち、ディーツェンバッハ、ニーダー=ローデン、オーバー=ローデン、エッパーツハウゼンおよびメッセンハウゼンはオッフェンバッハ郡に、西部はラントラーツベツィルク・ドルンベルクとともにグロース=ゲーラウ郡に編入された。


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