オットー4世_(神聖ローマ皇帝)
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オットー4世
Otto IV.
神聖ローマ皇帝
19世紀に描かれたオットー4世の肖像画
在位1198年 - 1215年(ローマ王)
戴冠式1198年7月12日(ローマ王)
1209年10月21日(神聖ローマ皇帝)
別号シュヴァーベン公

出生1175年
神聖ローマ帝国ブラウンシュヴァイク?
死去1218年5月19日
神聖ローマ帝国、ハルツ城
埋葬 神聖ローマ帝国、ブラウンシュヴァイク大聖堂
配偶者ベアトリクス・フォン・ホーエンシュタウフェン
 マリア・フォン・ブラバント
子女無し
家名ヴェルフ家
父親ザクセン公ハインリヒ3世
母親マティルダ
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オットー4世(ドイツ語: Otto IV., 1175年 - 1218年5月19日)はホーエンシュタウフェン朝と対立したヴェルフ家唯一のローマ王(ドイツ王、在位: 1198年 - 1215年[注釈 1]神聖ローマ皇帝(戴冠: 1209年10月21日[注釈 2]1208年まではシュタウフェン朝フィリップの対立王。フィリップの死で帝位まで獲得したが教皇派(ゲルフ)の長でありながら教皇への背信を繰り返したことから1210年ローマ教皇インノケンティウス3世から破門を宣告されており、1214年ブーヴィーヌの戦いでフィリップの甥のフリードリヒ2世に敗れ翌年に帝位と王位を失った。バイエルン公兼ザクセン公ハインリヒ3世(ハインリヒ獅子公)イングランド王ヘンリー2世の娘マティルダの次男。ライン宮中伯ハインリヒ5世の弟、リューネブルク公ヴィルヘルムの兄。
生涯
幼年期オットー4世が用いていた紋章

オットー4世はザクセン公ハインリヒ獅子公とその妻マティルダの3人目の子供として生まれるが[1]、史料からオットーの正確な出生地を知ることはできない[2]

1182年7月末にシュタウフェン家出身の神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世から国外追放を宣告された父ハインリヒに伴われ、イングランドに旅立った。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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