オットー・ヴァイニンガー
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オットー・ヴァイニンガーOtto Weininger
生誕1880年4月3日
オーストリア=ハンガリー帝国 ウィーン
死没1903年10月4日 (23歳没)
オーストリア=ハンガリー帝国 ウィーン
時代20世紀
地域ヨーロッパ
学派自由思想
研究分野哲学論理心理学天才ジェンダー宗教
主な概念全ての人間の中には男性性と女性性の両方の要素がある。論理と倫理は同じものである。論理は自同律(A=A)と結びついている。天才とは普遍的な思想家である。
影響を受けた人物

イマヌエル・カントルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンリヒャルト・ワーグナーイエス・キリストチェーザレ・ロンブローゾプラトンヘンリク・イプセントーマス・カーライルアルトゥル・ショーペンハウエルヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

影響を与えた人物

ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインカール・クラウス[要曖昧さ回避]、フランツ・カフカガートルード・スタインローベルト・ムシルアーノルト・シェーンベルクジェイムズ・ジョイスヨハン・アウグスト・ストリンドベリゲオルク・トラークルエリアス・カネッティトーマス・ベルンハルトユリウス・エヴォラランツ・フォン・リーベンフェルスジョルジョ・デ・キリコエミール・シオラン芥川龍之介澁澤龍彦三島由紀夫

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オットー・ヴァイニンガー(Otto Weininger, 1880年4月3日 - 1903年10月4日)は、オーストリアユダヤ系哲学者

1903年の主著『性と性格』(Geschlecht und Charakter)は23歳で自殺を遂げた後に高く評価された。この書物は、今日では性差別主義かつ反ユダヤ主義であると考えられている[1]
生涯

オットー・ヴァイニンガーは、ユダヤ系金細工師レーオポルト・ヴァイニンガーとその妻アーデルハイトの息子としてウィーンに生まれた。ハンガリーユダヤ人の家系。学業優秀だった彼は中等教育を卒えた後、1898年7月、ウィーン大学に入学し、哲学心理学を専攻する傍ら、自然科学医学をも学んだ。彼はまた多数の言語に通暁しており、18歳の時には古典ギリシア語ラテン語フランス語英語、のちにはスペイン語イタリア語をも流暢に操った。

1901年秋、ヴァイニンガーは論文『エロスプシュケ』(Eros und Psyche. Eine biologisch-psychologische Studie)を出版しようと試みた。結局この論文は、1902年に学位論文として提出することになる。ジークムント・フロイトに会ったが、フロイトはこの論文を出版社に推薦しようとしなかった。ウィーン大学教授たちはこの論文を学位論文として受理し、ヴァイニンガーは哲学博士の学位を受けた。彼が意気揚々とプロテスタント洗礼を受けたのは、その直後のことである。

1902年夏、ヴァイニンガーは旅先のバイロイトリヒャルト・ワーグナーの『パルジファル』を鑑賞し、深い感銘を受けた。ドレスデンコペンハーゲンオスロなどを旅した後、彼はウィーンに帰還した。その頃から彼は鬱病の兆候を見せ始めた。ドッペルゲンガーに悩まされたのもこの時期のことである。

1903年6月、ウィーンのブラウミュラー出版社が彼の主著『性と性格─或る基礎的研究』を刊行した。ヴァイニンガーによれば、この書物は「性にまつわる諸問題に新しい光を当てる」試みであった。この本は不評ではなかったものの、彼が予期していたような波紋は呼ばなかった。

同年10月3日、ヴァイニンガーはシュヴァルツシュパーニアー通り15番地の、ベートーヴェン終焉の館に部屋を取った。翌朝、彼は左胸に負傷し、盛装した姿で床に倒れているところを発見された。急遽病院に運ばれたが、彼は搬送先で死去した。23歳だった。
『性と性格』

主著『性と性格』において、彼は全人類が男性的形質と女性的形質を併せ持っていると主張し、この自説を科学的に立証しようと試みた。彼によると、男性的形質とは能動的・生産的・意識的・倫理的・論理的な性質であり、女性的形質とは受動的・非生産的・無意識的・非倫理的・非論理的な性質である。彼によると、女性解放とはレズビアンのような「男性的女性」のためのものであり、女性の人生は行動(たとえば娼婦)と生産(たとえば)の両面において、もっぱら性機能のために費やされる。女性は本質的に「仲人」である。一方、男性(あるいは人間の中の男性的側面)の役割とは天才になるために生き延びることであり、彼が自身の中に見出すところの絶対者(すなわち)に対する抽象的なのために性を超越することであるという。この本の相当部分は天才論である。

別の章においてヴァイニンガーは(彼自身1902年キリスト教へ改宗したユダヤ人だが)、原初ユダヤ人を女性的な存在、本来非宗教的な存在、真に個人主義的な魂を持たぬ存在、善悪の感覚を持たぬ存在と分析する。彼によれば、キリスト教とは「最も高き信仰の最も高き表現」だが、ユダヤ教は「卑劣さの極致」である。ヴァイニンガーは現代という時代の腐敗を弾劾し、その腐敗の本質を女性的なもの、ユダヤ的なものと規定する。

ヴァイニンガーはベートーヴェンの終焉の館で拳銃自殺したが、ベートーヴェンこそはヴァイニンガーがあらゆる天才の中で最も偉大と目していた人物であった。この一事によりヴァイニンガーは時代の寵児となり、多数の模倣自殺者を生み、著書の評価を増した。こうして『性と性格』はストリンドベリから「あらゆる問題の中で最も難しい問題を解決した書物」という熱烈な讃辞を寄せられた。最も難しい問題とは、つまり女性問題のことである。
ヴィトゲンシュタインに対する影響

ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは中学生時代に『性と性格』を読んで強い感銘を受け、後に自ら最も大きな影響を受けた書物の一冊に挙げ、友人たちに一読を奨めている(Ray Monk: Ludwig Wittgenstein, The Duty of Genius, 1990)。しかしながら、ヴィトゲンシュタインはヴァイニンガーの思想にただ感動していただけではなく、ヴァイニンガーの立ち位置に対して根本的に不同意でもあった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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