エミール・オットー・ラッシュ(Emil Otto Rasch、1891年12月7日‐1948年11月1日)はナチス・ドイツ親衛隊 (SS) の将校。戦時中、アインザッツグルッペンの指揮官をしていた。最終階級は親衛隊少将 (SS-Brigadefuhrer) および警察少将 (Generalmajor der Polizei)。 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州のフリードリヒスルーエ
略歴
1931年9月に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)に入党。1933年に親衛隊 (SS) に入隊した。ナチス党の政権掌握後にラーデベルク(ドイツ語版)やヴィッテンベルクの市長となる。1938年からはフランクフルト・アム・マインのゲシュタポ長官となる。アンシュルス後(オーストリア併合)後にはオーバーエスターライヒ州でもゲシュタポ長官となる。1939年にはベーメン・メーレン保護領プラハのSD長官となる。同時にケーニヒスベルクのSDと保安警察の長官にもなる。1940年1月から2月にかけてラッシュは国家保安本部長官ラインハルト・ハイドリヒの指示を受けてゾルダウ強制収容所の創設にあたった。
独ソ戦後、1941年6月から1941年10月にかけてアインザッツグルッペンCの司令官に任じられた。ラッシュは8万人を「特別処置(ドイツ語版)」にしたことを報告している。「特別処置」とは殺害の隠語である。また1941年9月29日から30日にかけてラッシュの指揮下でアインザッツグルッペンCはキエフのバビ・ヤールで33,771人のユダヤ人を殺害した(バビ・ヤール大虐殺)。1942年からは大陸石油株式会社(ドイツ語版)の取締役となる。
戦後の1947年9月、ニュルンベルク継続裁判のアインザッツグルッペン裁判に他のアインザッツグルッペン指揮官とともに起訴されたが、健康上の理由から1948年2月5日に彼は裁判から下ろされている。同年11月に死去。
文献
Hohne, Heinz: Der Orden unter dem Totenkopf Goldmann, Munchen 1967 ISBN 3572013429
Krausnick, Helmut & Wilhelm, Hans-Heinrich: Die Truppe des Weltanschauungskrieges DVA, Stuttgart 1981 ISBN 3421019878
Ronny Kabus: Juden der Lutherstadt Wittenberg im III. Reich Drei Kastanien, 2003 ISBN 3933028752
Alfred Spies & Heiner Lichtenstein: Das Unternehmen Tannenberg Limes, Munchen 1979 u. o., ISBN 3809021571
?Die Grenzzwischenfalle am Abend vor dem Angriff auf Polen“ von Jurgen Runzheimer
外部リンク
⇒Biographie und Bilder von Rasch(イタリア語)
⇒Die Eidesstattliche Erklarung des Paul Blobel(ドイツ語)
更新日時:2014年9月22日(月)09:37
取得日時:2018/06/24 20:28