オックス・ベーカー
1975年
プロフィール
リングネームオックス・ベーカー
ジ・オックス
ジ・アーカンサス・オックス
本名ダグラス・アルバート・ベーカー[1]
ニックネーム狂牛
狂える猛牛
身長198cm
体重154kg(全盛時)
誕生日 (1934-04-19) 1934年4月19日
死亡日 (2014-10-20) 2014年10月20日(80歳没)
出身地 アメリカ合衆国
ミズーリ州
ペティス郡セデイリア
デビュー1962年
引退1988年
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オックス・ベーカー(Ox Baker、本名:Douglas Albert Baker, Sr.、1934年4月19日 - 2014年10月20日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミズーリ州セデイリア出身。
スキンヘッドに極太の眉毛と髭というプロレスの悪役然とした強面と、全身剛毛に覆われた巨体を武器に、怪物的なヒールとして活躍した[2]。2人のレスラーを死に至らしめたリング禍でも知られ、日本でも1970年12月12日、金網デスマッチでラッシャー木村の左足を骨折させたことがある(後述)。 学生時代から軍隊時代を通してアメリカンフットボールで頑強な肉体をつくり、1962年に地元ミズーリ州のカンザスシティにて、バディ・オースチン、ボブ・ガイゲル、パット・オコーナーのトレーニングを受けてデビュー[3]。当初はヘイスタック・カルホーンのようなヒルビリー・スタイルのギミックを用い、ベビーフェイスのポジションで活動[2]。1967年にはジ・オックス(The Ox)のリングネームでニューヨークのWWWFに登場、ゴリラ・モンスーン、プロフェッサー・タナカ、バロン・シクルナ、ジェリー・グラハム、ルーク・グラハム、ビル・ミラー、ブル・オルテガなどのジョバーを務めた[4][5]。 その後、リングネームをオックス・ベーカー(Ox Baker)に定着させ、強面の巨漢ヒールとしてカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングに参戦。1968年3月8日、アーチー・ゴルディーを破って北米ヘビー級王座を獲得、同地区のフラッグシップ・タイトルの第2代王者となり[6]、飛躍のきっかけを掴む。以降もカルガリーではゴルディーやギル・ヘイズと抗争を展開[7]、1969年4月にゴルディーとのルーザー・リーブス・タウン・マッチに敗れた後[8]、同年7月に国際プロレスに初来日している[9]。 1970年代に入るとスキンヘッドに極太の眉毛と髭をトレードマークとしたビジュアル・イメージを確立。ドスの利いた大声でまくしたてるマイクパフォーマンスも注目を集め、一躍ヒールのトップスターとなり、1972年6月16日にはジョージア州アトランタにてドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級王座に挑戦した[10]。1974年1月31日には、オハイオ州クリーブランドで行われたジョニー・パワーズとアーニー・ラッドの試合に乱入、ベビーフェイスのポジションにいたラッドを急襲したが、これに怒った観衆が暴徒化、The Cleveland Riot と呼ばれる大暴動を引き起こしている[11][12][13]。 1974年8月10日、インディアナ州インディアナポリスにてカウボーイ・ボブ・エリスを破りWWA世界ヘビー級王座を獲得[14]。以降、ラッド、ミラー、アンドレ・ザ・ジャイアント、セーラー・アート・トーマス、ムース・ショーラック、マイティ・イゴール、ボボ・ブラジル、ディック・ザ・ブルーザー、ウイルバー・スナイダー、ルー・テーズなどの強豪を挑戦者に[15]、1975年11月29日にペッパー・ゴメスに敗れるまで、1年以上に渡ってタイトルを保持した[14]。戴冠中の1975年11月1日には、シカゴのインターナショナル・アンフィシアターにてバーン・ガニアのAWA世界ヘビー級王座にも挑戦している[16]。 全米のトップスターとも各地で対戦し、WWAではブルーザー、デトロイトではザ・シーク、ダラスではフリッツ・フォン・エリック、フロリダではダスティ・ローデスやジョー・ルダック、テネシーではジェリー・ローラーと抗争を展開[17][18][19]。
来歴