オックスナード_(カリフォルニア州)
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オックスナード
City of Oxnard

オックスナードの数少ない高層ビル


旗章

愛称 : 世話をする都市
位置

カリフォルニア州におけるベンチュラ郡(左図)およびオックスナードの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度11分29秒 西経119度10分57秒 / 北緯34.19139度 西経119.18250度 / 34.19139; -119.18250
歴史
設立1903年
行政
アメリカ合衆国
 カリフォルニア州
 ベンチュラ郡
オックスナード
City of Oxnard
市長トマス・E・ホールデン
地理
面積 
  域101.54 km2
    陸上  69.65 km2
    水面  31.89 km2
      水面面積比率    30.83%
標高16 m
人口
人口(2020年現在)
  域202,063人
  備考[1]
その他
等時帯太平洋標準時 (UTC-8)
夏時間太平洋夏時間 (UTC-7)
公式ウェブサイト : ⇒City of Oxnard

オックスナード(: Oxnard、発音:??ksn?rd)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州南部のベンチュラ郡にある都市。人口は20万2063人(2020年)で、ベンチュラ郡最大である。隣接するサウザンドオークスベンチュラと都市圏を形成する。ロサンゼルスの西100qに位置しているため、広域ではロサンゼルス大都市圏に含まれる。

オックスナードにはポートワイニーミーとポイントマグーという2つの大きな海軍基地がある。ポートワイニーミーはロサンゼルスサンフランシスコの間では最も繁華な商業港である。アムトラックユニオン・パシフィック鉄道、および通勤線のメトロリンクが集中し、グレイハウンド・バスの路線もあって、カリフォルニア州中に交通が通じる南カリフォルニアの要衝である。またオックスナード空港と呼ばれる地域空港もある。
歴史

オックスナードとなった地域にヨーロッパ人が到着する以前はチュマシュ族インディアンが住んでいた。この地域に最初に現れたヨーロッパ人はポルトガル人探検家フアン・ロドリゲス・カブリリョであり、1542年にスペインの領有を宣言した。スペインによる伝道所群建設の時代には1782年に建設されたサン・ブエナベンチュラ伝道所があった。

カリフォルニーオ開拓者の間で放牧が盛んになっていたが、カリフォルニアが1850年にアメリカ合衆国の州に昇格したときに地域での影響力を失った。これと同じ頃にアメリカ人農夫が入植してオオムギライマメを栽培した。

1897年、東にあるチノで3人の兄弟と共にサトウダイコンの工場を始めて成功したヘンリー・オックスナードがポートワイニーミーから内陸に入った平原に工場を建設した。この砂糖工場の周りには新しい町が形成された。ここは現在ヘンリー・オックスナード歴史地区として、アメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されている。

しかし、オックスナード兄弟はこの町に住むことはなく、1899年にチノとオックスナードの巨大な赤レンガ造りの工場を400万ドル近い価格で売却した。オックスナード工場は1899年8月19日から1959年10月26日まで操業された。1903年のオックスナード・ストライキのときは操業が止まった。1898年、町の成長を見込んで工場の近くに鉄道駅が建設され、中国人日本人およびメキシコ人労働者を惹きつけた。町の規模に見合うような商売も始まった。町の幹部は砂糖のギリシャ語である「ザカリ」という町名を付けようとしていたが、経営者が気に入らず会社の名前を付けさせた。

オックスナードは1903年6月30日にカリフォルニア州の市に編入され、1907年にミシシッピ川より西では3つしか無かったカーネギー図書館の1つである公共図書館が開館した。第二次世界大戦の戦前と戦中に、ロサンゼルス港とサンフランシスコ湾の間のカリフォルニア州海岸では唯一大きな外洋船の入れる港という利点を生かしてアメリカ海軍のポートワイニーミーとポイントマグーの基地が建設され、これらの基地がその後には防衛産業として航空宇宙産業や通信産業の発展を促すことになった。

20世紀半ば、オックスナードは中心街の外側に住宅、工場、小売業およびチャネルアイランヅ・ハーバーと呼ばれる新しい港が成長し発展した。この期間のオックスナードの歴史において、マーティン・V・スミス(1916年-2001年)が最も影響力ある開発推進者になった。1941年に始めたスミスの最初の事業はコロニアルハウス・レストラン(1988年解体)であり、続いて1957年のワゴンホイール・ジャンクションだった。その後もトーパ・ファイナンシャル・プラザの高層ビル、チャネルアイランヅ・ハーバー、カサ・シレナ・リゾート、エスプラナーダ・ショッピングモール、フィッシャーマンズワーフ、キャリッジスクエア・ショッピングセンター、海洋博物館の開発、およびその他多くの主要ホテル、レストランや小売店の計画にも関わった。


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